北野天満宮 牛と絵馬と
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今日も北野天満宮です。
天神さんに付きものの「臥した牛の像」から。。。この石、スゴイですね。
牛と菅原道真との関係を結びつける話は多く残されていますが、一般的に言い伝えられている・・・「道真公が丑年に生まれ」だという事は「菅原院天満宮」の記事で書きましたが、他に言われていることを「菅原院天満宮」で頂いたパンフより。。。
①先ず道真公が生まれたのが仁明天皇の承和12年(845年)乙丑(きのとのうし)6月25日。つまり丑年の生まれである。(※↓子牛がいます)
②貞観元年(859年)乙卯2月乙丑である道真公が元服の夜に夢で白牛が角を痛めて死ぬ悪夢を見る。それを気にした道真公が自分で牛の絵を書き、酒を供えて祀った。
(よく分りませんがこの牛さんは脚半をしているかしら?・・・旅の途中?)
③寛平5年(893年)発丑の9月に北山で茸狩りの宴で、子牛が道真公に近寄り頭を垂れ敬うようなそぶりを見せたため気に入って館に連れて帰った。(ここにも子牛が)
④道真公左遷の時に政敵であった藤原時平の命を受けた原宿禰(すくね)たちが都落ちしている最中の道真公に斬りかかろうとしたが、その際にこの子牛が松原から飛び出して原宿禰の腹を突き刺して道真公を救った。
⑤道真公は遺言として、自分の遺体を乗せた牛車が進むままに埋葬地を決めさせた。すると牛は大宰府条坊の丑寅の方角に進み、四堂の近くで急に止まり、座り込んで動かなくなったため、そこを道真公の墓所とした。
以上の5つの牛と関わる話の中で、一般的に言い伝えられているのは①の道真公が丑年に生まれたというのが最も知られている。
昨日に引き続き、北野天満宮の絵馬堂です。
残念ながらかなり剥げています。
昨日は部分を載せましたが、全体です。何の場面でしょうか。
◆「金比羅絵馬館」が「安井金比羅宮」(悪縁を切り、良縁を結ぶ)にあるのをご存知ですか? 往年の名優の絵馬もあります。安井金比羅宮の記事は→◆こちらです。
源平合戦のよう。
ネットがかけられている絵馬は特に重要なのか、崩れる危険性があるものかと。
これは何でしょうか? 良く似たのを見かけることがあります。
今日は沢山な数になりました。
こちらは受験生の合格祈願の絵馬です。写り切れない棚の数なのです。
きみがため 春の野に出でて 若菜つむ
わが衣でに 雪は降りつつ 光孝天皇
今朝は「七草粥」を食べる日ですね。
百人一首のこの歌は「七草粥」用の若菜を摘まれているそうですよ。天気予報で仰ってました。
今日までに初詣に行かなきゃ・・・元旦の下鴨神社では本殿には御参りしてないし。
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とっても悔しいことが・・・昨年、この小さな小さな牛が心無い人によって壊されました。残念な残念な悔しいことです。
皆から大切にされていたのでしょう、いつも可愛い着物を着せてもらっていました。
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