時代祭の最初に登場したのが・・・「1300年に向けて・いつも新しい古都」
京都は「新しい古都」なのですね。来年は「源氏物語千年紀」
時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まりました。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。総勢で約2000名の一大行列となっています。
「2007 時代祭」の全隊列をお届けします。「つれづれ編」とあわせて御覧下さい。
祭り及び隊列の説明は「平安神宮のホームページ」から。
続いて、京都市長、府知事、議会議長が車で行進です。
いよいよ「時代祭」の始まりです。始まりと言いながら、到着地の平安神宮からです。「御所」と「平安神宮」をミックスして「これはちょっとましに撮れているかな?」と思うものを入れてゆきます。人の頭々などで見辛いのが多くて良いのが無くてすみません。
軽やかにステップを2人が踏みながら「時代祭」の幟が登場。
【明治維新時代】 維新勤王隊列 (朱雀学区・奉仕)
明治維新の際、幕府の遺臣が東北地方で反抗した時、丹波の国北桑田郡山国村の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模したもので、三斎羽織に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊(しゃぐま)をかぶり、脚絆、足袋、をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿です。
青年達は足を左右に上げながら行進、笛の音、太鼓が「時代祭」の始まりを伝えます。
【幕末志士列】 (京都青年会議所・奉仕)
桂 小五郎(木戸孝允)、西郷 吉之助、坂本 龍馬、中岡 慎太郎、高杉 晋作。
【江戸時代】 徳川城使上洛列 (下京区・南区・奉仕)
徳川幕府は朝廷の大切な儀式や大礼、年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。城使には親藩・譜代の諸侯が選ばれ、ことにご即位の大礼には将軍家名代が多数の従者をしたがえ、その服装器具などは非常に華美なものでした。 本列は普通の場合を模したもので、城使は乗物(祭では騎馬)、目附頭以上の者は騎馬。乗物の駕籠は幕末当時の形式をとったものです。
先頭の槍持、傘持、挾箱持の「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の面影を偲ばせてくれます。
毛槍の持ち手の交換が「見物」です。
【江戸時代 婦人列】 (京都地域女性連合会・奉仕)
和 宮(かずのみや) 蓮 月、中村内蔵助の妻、玉 瀾(ぎょくらん) 、梶、 吉野太夫、出雲阿国が登場します。
【安土・桃山時代】
豊公参朝列 (伏見区・奉仕)
豊臣公参朝のうち、慶長元年(西暦1596年)5月の秀頼初参内と、同2年9月の元服の時は最も盛儀であったと伝えられていて、本列はその様相を模したものです。
服装は当時特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもので、衣冠の姿も普通でなく、袴をつけ、太刀も武家風です。また牛童、牛飼などは公家風ですが、徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。
織田公上洛列 (東山区・山科区、中京・下京区の一部・奉仕)
応仁の乱の後京都は非常にさびれ、皇室も衰微してしまいました。永禄11年(西暦1568年)9月、織田信長はお召しに応じ、兵をひきいて上洛し、皇居を修理、都の復興に努めて民を落着かせました。 本列はその織田公上洛を模したもの。
【室町時代】 (桓武天皇1200年大祭の記念事業として平成19年より参加)
室町幕府執政列 (右京区・西京区の中から学区・輪番奉仕)
足利将軍を中心とした当時の武士の軽武装姿を表現するもので、騎馬小具足姿の足利将軍に幕府の執政にあたる三管領・四職に任ぜられる主要氏族が御供衆として従い、また公家・法中・御博士・医師など他の列にない特色ある風俗を表現したものである。
馬上の足利将軍は烏帽子に金襴の豪華な衣装、鎧、兜とはつけず、軽装の小具足姿を表現した(後の人)。お供の細川氏や山名氏は、色鮮やかな甲冑を着用する。
室町洛中風俗列 (深草室町風俗列保存会・奉仕)
十六世紀、室町時代後半に経済力を蓄積した京の町衆によって盛んに催された風流踊りを再現したもので、風流傘を中心に、内側に囃子方で構成する「中踊り」、と外側に踊り手で構成する「側踊り」からなっている。当時の風流踊りは男性のみで、奇抜な仮装や妻女の派手な衣裳で着飾って参加している。この風流踊りは全国各地に伝わり様々な芸能を生み出し、また江戸時代以降の盆踊りの原型ともなっている。
【吉野時代】
楠公上洛列 (右京区・西京区)
正慶2(1333)年6月に隠岐・伯耆から還幸する後醍醐天皇を兵庫に出迎え、上洛の先駆を務めた楠木正成と弟正季(まさすえ)を中心とする列。
中世婦人列 ( 花街 輪番奉仕 ) 詳しくは「つれづれ編」で見て下さい。
淀君、静御前、大原女、桂女などの列・・・上七軒歌舞会が務めます。その内、大原女・桂女は、大原農協婦人会・桂及び桂東婦人会有志が扮しています。
【鎌倉時代】
城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ) (中京区・下京区の一部)
承久3(1221)年5月の承久の乱に際して、後鳥羽上皇が城南宮の流鏑馬にかこつけて畿内周辺の武士を召した時、それに応じて上洛した武士達を表した列。
【藤原時代】
藤原公卿参朝列 (上京区・中京区の一部)
藤原氏の全盛期である摂関期の貴族が朝廷に参る様子を示した列。
平安時代婦人列 (祇園甲部歌舞会と先斗町お茶屋組合が1年交替で務めます)
紫式部、清少納言、小野小町、巴御前、横笛、常盤御前、和気広虫(和気清麻呂の姉で、孤児を救済したので里親制度・施設養護の創始者といわれる)、百済王明信などの列。
【延暦寺代】
延暦武官行進列 (北区・左京区・上京区・中京区の一部)
延暦20(801)年に征夷大将軍・坂上田村麻呂が都を出陣する様子を表した列。
延暦文官参朝列 第1社区域(北区・上京区の一部)
延暦15(796)年元日、平安京大極殿で行われた朝賀儀に参る文官の様子を示した。
神饌講社列 (京都料理組合の有志)
行在所祭・神宮本殿祭に神饌を献ずる列。
前列 (左京区の一部)
神幸列の直前を行くので前列といいます。雅楽の伶人(れいじん 楽人)、迦陵頻伽(かりょうびんが)、胡蝶など優美な衣裳の列で、多数の狩衣装束のお供が従います。
神幸列 (平安神宮が司ります)
御賢木(おんさかき)を先頭に、ご鳳輦(ごほうれん ご祭神の乗る御輿)を中心とした神幸の本列です。 先のご鳳輦が西本殿の孝明天皇、後のご鳳輦が東本殿の桓武天皇で、宮司以下神職が前後につき従ってご神幸されます。つまり、ご祭神が京都の市外をご巡幸になって、市民の安らかな状を親しくご覧になるのが時代祭なのです。各行列はこのご神幸のお供をして行進するわけで、全行列の中心としての意義を持つ列です。
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白川女献花列 (白川女風俗保存会)
弓箭組列(きゅうせんぐみ)
神幸列の後を警備する列、第1回の行列から変わることなく南桑田郡(現亀岡市)・船井郡(八木町)有志が務めます。
一気にやってしまいました。これでお終いです。来年は「維新勤王隊列」の音声をとって来なくちゃと思っています。京都人は時代祭や祇園祭をわざわざ見に行かないものですが、見に行って欲しいものです。今年何十年ぶりかに見に行って「良かった」ですよ。
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平安神宮に到着しました。何度も書きますが、つれづれ編もどうぞ。
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