建仁寺 法堂の雲龍と方丈の襖絵
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建仁寺、花見小路の先の門から入ります。
今日は方丈の襖絵、前庭の「大雄苑、法堂の雲龍図をお届けします。
海北友松筆「雲龍図」、高精細デジタル複製の襖絵です。
間近にまで近づいて見ることができます。
撮影禁止ばかりだと凄くガッカリするのですが、最近は精密な複製が飾られていて、すんなり撮れるのが嬉しいですね。
方丈、真夏になるとこの床も焼け付くように熱くなります。
建仁寺
1202年(建仁2)栄西禅師が建立した京都最初の禅寺。正元元年(1259)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。
天正年間(1573-1592)に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築し復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在に至ります。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていません。
方丈の前庭「大雄苑」です。正面の門の向こうに見えるのが法堂。
「大雄苑」、白砂に緑苔と巨岩を配した枯山水の庭です。
大徳寺の「茶人面」、建仁寺の「学者面」、妙心寺の「算盤面」と言うそうです。
各部屋の襖絵ですが、以前は橋本関雪による「生々流転」等の襖絵がいくつか有りました、どうなったのでしょうか? 見当たりませんが。
襖絵は近くにまで寄って見れるように、かなり開放されたように思います。
絵の説明は書いてあるのですが、撮ってなくて・・・
方丈 (重要文化財)
慶長4年(1599)安国寺恵瓊が安国寺から移築したもので、優美な銅板葺の屋根が印象的な禅宗方丈建築。
つづいて、法堂に行きます。
法堂 (はっとう)
明和2年(1765)上棟。仏殿を兼ねた建物であり、「拈華堂」(ねんげどう)と呼ばれる。正面須弥壇には、本尊釈迦如来像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者が祀られています。
天井には平成14年(2002)、建仁寺創建800年を記念して、日本画家・小泉淳作氏による双龍図が描かれています。
双龍図
大きさは縦15.7m、横11.4m(畳108畳分)あり、巨大な二匹の龍が絡み合いながら共に仏法を護持している姿です。
絵の工程は建仁寺本坊を入ったところの風神雷神図の横の部屋で、映像によって見ることが出来ます。
法堂を後に・・・
お天気を気にしながら、何処に行こうかなあ・・・の、思案の日々です。
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大雄苑を花頭窓から
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