勝運 藤森神社の紫陽花苑
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藤森神社には境内2カ所の紫陽花苑があって、3500株の色とりどりの紫陽花が見頃を迎えています。
勝運、学問と馬の神社の藤森神社は菖蒲の節句発祥の神社としても知られ、今日では勝運と馬の神様として、競馬関係者(馬主・騎手等)、競馬ファンの参拝者でにぎわっています。正門(南門)から入ります。
参道、「人・馬」「車」と分けられているのが面白い。左側は5月5日に『駈馬(かけうま)』が行われるところ。迫力いっぱいで、技も凄いですよ。
「駆馬や菖蒲」は、尚武・勝負が連想され、武神が多く祀られていることや明治時代から第二次世界大戦終了まで周辺が軍用地であったことから、馬と武運の神社として信仰を集めました。
絵馬堂には駈馬の技の描かれた絵馬もかかっています。
現在は馬と勝負事の勝運神社として、競走馬の絵馬が多数奉納されています。
藤森神社 (ふじのもりじんじゃ) 建立:203年(神功摂政3)
創建は平安遷都以前、神功皇后が軍旗や武具をこの地に埋め神まつりしたのが始まりと伝える。桓武天皇により都の南を護る守護神「大将軍」が置かれ、桓武天皇も弓兵政所としました。素盞鳴命を主神とし、あわせて神功皇后、日本武尊など十二柱に及ぶ神々を奉祀し、洛南深草の産土神として崇敬されている古社です。
下は「御旗塚」
神功皇后がとう旗(軍中の大旗)を樹てた所で、藤森神社発祥の場所。この「いちいの木」は“いちのきさん”として親しまれ、ここに参拝すると腰痛が治ると云われ、幕末の近藤勇も参拝したと伝えられる。
蒙古塚は昔は7ツ塚ともいわれ、蒙古の将兵と戦利の兵器を埋めたところ。
参道横の紫陽花苑(第一)に入ります。ちょうど見頃の紫陽花です。
色とりどりの紫陽花が咲き誇ります。(撮影:6月17日)
脱皮直後のキリギリスみたいです。身体も透明感があって短い羽根が生えてきたばかり。珍しいものを見ました。
以前来た時は見頃が過ぎてて、訪れる人も無くて蜘蛛の巣をかき分けて通ったものですが、今回は花を楽しみながら歩けました。
本殿後ろの第二紫陽花苑に向かう前に広い境内を・・・
拝殿の狛犬も強そう。
手水鉢の台石の由来ですが・・・
「この手水舎の水鉢の台石は宇治浮島にある十三重の塔の上から5番目の石を石川五右衛門が持ち来たりし物と云われており、現在十三重の塔のその部分だけ石の色が違っている」と、書かれていますが、、、
宇治中の島にある十三重の塔の5番目の石の色はそれほど違うとも思えないし、、、それよりも石の大きさが全然違うように見えましたが、十三重の塔の上から5番目は結構高いから、、、石川五右衛門の逸話って色々ありますね。
本殿と御旗塚
御旗塚の横に湧き出る御神水「不二の水」は二つとない美味しい水という意味で、武運長久・学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されています。
5月5日は「藤森祭」で、朝から神輿3基が氏子内を巡行し、甲冑鎧に身を固めた武者が供奉し行列が練り歩きます。端午の節句に武者人形を飾る風習はこの行事に由来します。御旗塚の横から第二紫陽花苑に入ります。
本殿を上から見下ろします。
第二紫陽花苑も株が大きくなって見事な紫陽花苑になっていました。
西洋アジサイや額アジサイ、アナベルなど約40品種、3500株あります。
本殿は、正徳2年(1712)中御門天皇より賜わった宮中内侍所(賢所 かしこどころ)の建物といわれる。背後東に八幡宮は応神天皇を祀り、西に大将軍社は、磐長姫命を祀っています。
勝運の神。 菖蒲の節句の発祥の地
上の勝運の神の横に植わっているのが珍しい「白松(はくしょう)」
白皮松、白骨松ともいわれる。「区民誇りの木 シロマツ」です。
舎人親王を祀ることから学問、特に受験での勝運をもたらす神社とされます。
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