閑院宮邸跡 2015春
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先日拾翠亭を拝観した後、その向かいにある閑院宮邸跡を訪れました。ここは、月曜日と年末・年始以外は公開していて、入場無料です。東門から入ります。
主屋は中庭を囲む木造平屋建の四つの棟からなり、北側を除いてコの字型に廊下が続いています。北側は「国民公園協会京都御苑」の事務所だそうです。東側から
閑院宮家は伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、東山天皇の皇子直仁親王を始祖として1710年に創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷を構えました。
創建当初の建物は天明の大火(1788)で焼失し、その後再建されていますが、現在の建物との関係など詳しいことはわかっていません。南から(TOPの写真は南西の角)
明治2年の東京遷都に伴って、京都御所の周りにあった宮家や公家は東京に移転し、建物や庭園などは撤去されました。西から
その中で、閑院宮邸跡、九條邸跡、桂宮邸跡、中山邸跡および近衛邸跡には、一部遺構が残されており、今では貴重な史跡となっています。
閑院宮が東京に移られてからは、その建物は華族会館や裁判所として一時使用されました。
そして、御苑の整備が一段落した明治16年に宮内省京都支庁の建物が設置され、現在この主屋として残っています。この建物には旧閑院宮邸の部材が使われたとのことです。中庭とは反対の南側を見ると、ちょっとした床緑でした。
第2次世界大戦後の昭和24年、京都御苑が国民公園となってからは、厚生省のちに環境庁の京都御苑管理事務所などに使用されていました。南側の庭
環境庁は平成15年に閑院宮邸跡の保存修復に着手し、長屋門などの構造物の他、築地塀、池などの復元・整備を行いました。主屋の北にある長屋門、ここからでも入れます。
平成18年に改修工事が終わり、京都御苑の自然と歴史についての写真・絵図・展示品・解説を備えた収納展示室と庭園などが公開されました。これから、南にある庭を見に行きます。
復元・整備時の調査において、南東にある園池に州浜状の石敷などが確認され、宮家や公家が好む庭園様式を取り入れていることが分かりました。
現在では、遺構を遺したままその上に緩やかな州浜を復元して、当寺の雰囲気を再現するようにしたとのことです。
展示室のある南棟は書院造です。
先ほど見た床緑の場所
展示室のことは紹介できませんでしたが、京都御苑の歴史と自然について、各種資料・出土品や標本などを用いて説明されていて、見応えのあるものでした。
特に、東京遷都後の荒廃したこの地域が、現在の京都御苑となるまでの歴史には心を打たれました。
明治16年に設置された宮内省京都支庁に付随して、明治25年に所長官舎が建てられました。現在は撤去されていますが、歴史ある関連施設として間取りが再現されています。
前述の調査において南西部には園池と鑓水が確認され、こちらも復元されています。以下の写真は昨日のものです。
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