哲学の道の夏 銀閣寺庭園
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日の記事では、八神社から銀閣寺に入り、観音殿(銀閣)まで来ました。その前にある「向月台」、先ほど凄い雨が降ったのに、盛砂がびくともしていません。
いつもここで写真を撮る花頭窓、誰もいない時を待って、時間がかかりました。
方丈は、銀閣寺の本堂にあたる建物で,江戸時代初期の寛永年間(1624~44)の建築です。本尊として、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を安置しています。
方丈前から「銀沙灘」越しの銀閣はおなじみの構図ですね。
方丈(左)と東求堂(右)の間にある手水鉢は、側面に僧侶の袈裟状の文様があるので、袈裟型手水鉢といわれているそうです。
東求堂 1486年に義政の持仏堂として建立され、1491年に慈照院が慈照寺と改名されたときには東求堂が本堂とされました。
ここから順路に沿って池泉回遊式庭園をめぐります。この庭園は、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
錦鏡池(きんきょうち)には、造営当初に諸大名が献上した名石が残っています(諸候石)。こちらは、大内政弘が寄進したもの。以前の当主がこの石を金閣寺庭園に拠出することを拒んだことから義満と戦になって戦死したという、いわくつきの石です。
山裾にある洗月泉(右奥にある落水) 水面に映る月をさざ波で洗うとされる洗月泉ですが、コインがいっぱいでした。
錦鏡池にある石は「座禅石」、向こうに東求堂が見えます。
まもなく順路は山の斜面を上がります。その中ほどに、昭和6年に発掘された漱蘚亭(そうせんてい)跡の庭園があります(ここは立ち入り禁止です)。
発掘された石組、泉、水流の跡などは創建当時のままと考えられています。当時は、現在の境内中心部の庭とこの漱蘚亭の庭の上下二段になっていました。
漱蘚亭跡のすぐ上に平らな場所があり、
「お茶の井」があります。足利義政が愛用した井戸(湧水)で、現在も茶会などに使用されているそうです。かっては、この水が漱蘚亭の庭を流れていましたが、現在は別の経路を通って下の庭に流れて行きます。
さらに上ると道は平らになり、西の方の視界が開けます。銀閣寺の境内が下に見えます。
紅葉の頃は華やかでしょうね。
向こうの小山(丘)は吉田山です。
下り道の途中でも銀閣が見える場所があります。
いつも混雑している記念撮影の場所です。
「お茶の井」からの水は、池の横を流れて行きます。
銀閣の横を通るとき鳳凰が見える場所がありました。
2010年まで行われた銀閣の修復工事では、外壁に黒漆が塗られ、一部では彩色されていたことが分かったそうです。その復元が出口付近に展示されています。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。お帰りの前に、ブログランキングの応援のクリック↓をよろしく。
★こちらを是非よろしく→ ブログ村→
-------------------------------------------------------------------
最近のコメント