大田の小径から山裾の散策路へ
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大田神社のカキツバタと境内を見た後、「大田の小径」に行ってきました。本殿の左に上り口があります。案内板は上賀茂神社宮司の揮毫だそうです。
この道は、平成17年に上賀茂地区の住民らによって整備された、全長約770m、歩いて30分程度の散策路です。
登り始めてまもなく、峠(分岐点)に着きました。峠の向こうは「小池方面」、右の稜線沿いの道が「大田の小径」です。少し寄り道して「小池」の方に下っていきます。
ここは、「京都ゴルフ倶楽部 上賀茂コース」になっていて、行き止まりです。「小池」は左の方にあるのですが、安倍晴明が登場する謡曲「鉄輪(かなわ)」で、嫉妬に狂った女が藁人形を手に牛の刻詣でをするときに「小池」の前を通った話が出てきます。
もう一度稜線に戻って「大田の小径」を歩きます。途中に何箇所も標識があり、両側がロープで囲んでいて歩きやすい道です。
この山は「神宮寺山」といい、上賀茂神社の裏から続いています。「神宮寺」はかってこの山の西麓にあった寺です。ほとんど起伏のない道が続きます。
大文字が意外に近くに見えました。
北側は木陰からゴルフ場が見え隠れします。もともと上賀茂神社の社域だったこの場所に、ゴルフ場ができた経緯はちょっと複雑です。
戦後、GHQ軍政部によって「軍人のレクリエーション」のために京都市内にゴルフ場を建設する計画が進められ、大プロジェクトが組まれました。
ところが、費用が膨大となり、上賀茂神社関係者からGHQへの直訴などもあって、総司令官マッカーサーから中止命令が出て計画は暗礁に乗り上げたかに見えました。また南側が開けた場所に来ました(TOPの写真も)。
しかし、当時の京都府知事が「京都の将来の観光資源になる」として、神社関係者を説得し、GHQへの矢面に立つとともに、官民の協力体制を整えて、計画を進めてよいことになりました。将軍塚青龍殿が見えます。
そして、昭和24年に日本で戦後初の新築ゴルフコースが完成し、その後会員数の増加により、昭和37年に西コース(現・舟山コース)が新たに完成しました。この日は京都タワーもはっきり見えました。
日本で初めて株式会社方式の運営、法人会員制度の導入、女性キャディシステムの廃止、セルフプレー方式、4人乗り電動乗用カートの導入など、日本ゴルフ界の先駆け的な運営を行ってきたそうです。またゴルフ場が見えてきました。
「小池」の向こうは「上賀茂遊泳訓練所」で、日本古来の泳法を教えています。
しばらく行くと、稜線から別れて下り道になります。
「大田の小径」の岡本口側に到着しました。こちらの案内板は、京都市北区長の揮毫だそうです。この場所は大田神社より一筋北の山側にあります。
この道を通って、自転車を置いてある大田神社まで戻ります。
しばらく歩くと、左にレストラン・ウェディングの「愛染倉(あぜくら)」の塀が続きます。
高史家 天保14年(1843)建造の庄屋造りの屋敷を飛騨高山から移築したもので、披露宴などに利用。
翠風閣 孝明・明治両帝の御殿医・福井貞憲が明治13年に建造した数寄屋風講堂造りの茶室 ここから、京都市内が一望できるとのことです。
山側にある大田山荘 売り物件のようです。
途中に店もなく、自然に囲まれた静かな散策路でした。
大田神社の本殿が見えてきました。
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2008年の写真から・・・とても気に入っています。
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