はねず踊りと今様 随心院
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
3月の最終日曜日は随心院ではねず踊りが行われます。はねず(朱華)とはうす紅色のことで、随心院の紅梅もこの名で呼ばれています。
最初に昨年11月に選考された「ミズ小野小町」の3人の女性が紹介されました。随心院の法会や公式行事で活動して小野小町ゆかりの地をアピールしていくそうです。一番右は女優の風谷南友さんです。
「はねず踊り」は昔、深草の少将がこの地に住んでいた小野小町に求愛して百夜通いの悲願をこめて通い続けた伝説を題材にした民謡踊りです。踊りは小学4~6年の女の子です。
かっては、はねずが咲く頃に、里の子が家々を訪ね踊ったことが知られていますが、90年ほど前に途絶えてしまいました。脇に唄や、尺八、箏(こと)、太鼓、鈴・カネの奏者がいます。
昭和48年の春、はねず踊りの復活を願う人々が、古老の記憶をたどり歌と曲と振りを再生させようとしました。歌詞の不備を補い、作曲家・大橋博氏、舞踏家・森本博子氏の協力を得て復活したのが現在のはねず踊りです。
「これは楽しや 小野のお寺の踊りでござる」の前歌で始まり、1番は「少将様がござる 深草からでござる」、と深草の少将が百夜通いを始めたことを歌います。主に前列で踊る裾が緑の子供たちが少将、後が小町です。
「かやの木の実で 九つ十を」と小町もまんざらでもなく、百夜通いを見守ります。今でも随心院の周辺に榧(かや)の古株があるそうです。
2番で、「雪の夜道をとぼとぼござる 今日でどうやら九十九夜 百夜まだでも まぁおはいりと あけてびっくり よ~ おかわりじゃ」 少将は代理の者に行かせていたのです。
3番は「小町さまでござる まんだらさんにござる」で始まり、「小野の梅の木 はねずでござる 雪がやんだら もう花つけて」と、少将のことは忘れて何事もなかったようにその年の春の情景を歌います。
4番も「小町さまでござる まんだらさんにござる」で始まりますが、「小野のはねずは 紅梅でござる」、「わらわ集めて 手拍子そろえ はねず踊りに よ~ おうかれじゃ」と、毎年この時期に里の子たちと楽しく過ごしたと歌っています。
ともかく可愛い踊りでした。
この後、今様として白拍子の舞がありました。
こちらも題材は深草の少将の百夜通いですが、大人の舞になっています。
といっても、踊っているのは中学1年の女の子で、以前ははねず踊りをしていたそうです。
この日のはねず踊りと今様は、午前と午後の4回行われました。
最後は、「京都瓜生山舞子連中」による「大蛇」です。このお神楽は午前と午後の2回だけ行われました。題材は素戔嗚尊の八岐大蛇(やまたのおろち)退治です。桶に木の実を搾り出した毒酒を入れて大蛇を迎えるところから始まります。
「京都瓜生山舞子連中」は、京都造形芸術大学によるプロジェクトで、島根県の石見神楽の研究や地元との交流を通じて、芸能の習得や地域の活性化を目指しています。高天原を追放された素戔嗚尊は、出雲の国で大蛇に悩まされている老夫婦と娘に出会います。
やがて大蛇が現れて、組体操のように様々なポーズをして気勢を上げます。
大蛇たちは酒を飲み始めます。興奮した大蛇どうして小競り合いがあったりして、どう猛さが伝わってきます。
大蛇は酔いつぶれてしまいました。
素戔嗚尊は、十束剣(とつかのつるぎ)を抜いて大蛇の首をはねます。
娘が捕まってしまい、素戔嗚尊もピンチです。
素戔嗚尊が自分を襲っていた大蛇を仕留めます。
ようやく大蛇を全部退治して、素戔嗚尊は助けた娘・稲田姫と結ばれ八重垣神社に新居を設けます。おなじみの神話の大蛇を退治する場面だけでしたが、迫力がありました。
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