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今日は、ずいき祭が上七軒に着く前に訪れた寺院と、上七軒についてです。どちらも、豊臣秀吉の北野天満宮での大茶会「北野大茶の湯」に因んでいます。
上七軒の東の入り口から東に、通称名称「湯沢山茶くれん寺」があります。
浄土院 (湯沢山 茶くれん寺) 浄土宗 ◆地図です。
天正15年(1587)、豊臣秀吉が九州征伐の勝利と聚楽第の完成を記念して北野天満宮境内の松原で「北野大茶の湯」を催されました。
その折、秀吉公が北野に向う途中、当院に立ち寄り、お茶を所望されました。住職が一杯目のお茶をお出しした後、秀吉公が二杯目を所望されました。世に知られた茶人でもある方に未熟なお茶をお出し続けるのは失礼と考え、お寺に湧き出る香しい銀水をそのまま味わっていただこうとの想いより、沸かしただけの白湯を出し続けたといいます。

一方、秀吉公はお茶のおかわりを頼んでいるのに出てくるのは白湯ばかり、初めのうちは驚かれましたが、そのうちに住職の想いを悟られて「この寺では、お茶を頼んでいるのに白湯ばかり出して、お茶をくれん。湯たくさん茶くれん」と笑いながら。
このエピソード以降、「湯たく山茶くれん寺」と呼ばれるようになったと伝わります。
本堂の屋根には寒山、拾得像の焼き物が乗せられています。

寒山と拾得は中国唐代に天台山の近くに住む禅僧、詩人で、奇行が多く豊干(ぶかん)に師事したと伝えられています。
いずれの像も安土桃山時代の陶工で楽家(千家十職の一つ)初代長次郎の作と伝えられています。
右側:巻き物を携えた寒山像。普賢菩薩の化身といわれています。

左側:ほうきに乗った拾得像。文殊菩薩の化身といわれています。

湯沢山茶くれん寺はかつて記事にしていますが、「寒山、拾得像」のことは予備知識が無くて像に気づきませんでした。・・・今回やっと撮ってきました。
秀吉公にお出しした銀水をたたえていた井戸は、現在では形のみが残されているだけです。

------------------つづいて、上七軒について
室町幕府の頃、北野天満宮の社殿が一部焼失し、再建の際に残った資材を使って東門前の松原に七軒の茶店を建て、天満宮へ参詣する人々の休憩所としました。

その茶店を「七軒茶屋」と称したのが、「上七軒」の地名の由来になります。

天正15年(1587)、豊臣秀吉が「北野大茶の湯」を催した際に、七軒茶屋を秀吉の休憩所としました。
その時、名物の御手洗団子を秀吉に献上したところ、大いに誉められて、褒美として七軒茶屋に御手洗団子を商う事の特権が与えられました。

以来、上七軒では五つ団子の「つなぎ団子」紋章がつかわれています。

お祭りの幕がかかり、華やかです。

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先日の記事に入れ忘れた写真。
ずいき祭の行列・・・可愛い八乙女さんが来ました。

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男性カメラマンの視線の先は、やはり舞妓さんか・・・。

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