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平成24年、今年は鴨長明が「方丈記」を執筆してから800年を迎えます。それを記念して下鴨神社では数々の記念の催しが行われています。
今日は下鴨神社の摂社の河合神社です。
上は門の正面から中を撮りました。。。なんか違うとは思いませんか・・・?・・・私、ビックリしました。(撮影:10月7日)
まずは見慣れた風景から・・・
緑の森の中、赤い鳥居・・・素晴らしい対比です。
アレッ・・・赤い鳥居の前に「門扉」が出来てます・・・???
最初、時代劇の撮影のセットかと思いました。
そして中もなんか変でしょ・・・そう・・・あの趣のある古い築地塀が写真の左にありません。門の左右とも築地塀は撤去されていて・・・御神木がむき出しで見えています。
・・・玉砂利が敷き詰められ、周りは赤い柵で囲われ・・・手水舎もこんな所に移動して来ています。
門の正面に鏡絵馬を書く為のテントがあったのも見苦しかったけれど・・・ビックリです。鴨長明・方丈記800年記念事業の一環でこのようになったのでしょうね。
・・・それにしても、あの素晴らしい塀が無くなってるのは淋しい事です。
今までは道のようだったところも境内になって広々です。定位置だと思っていたものも移動させられています。
最近テレビで、女性を守る美麗の神社の「鏡絵馬」として取り上げられることが多くなった河合神社です。
本殿へのお参りも女性ばかり・・・
奉納された鏡絵馬が正面にズラーっと並べてあります。絵的にも効果があるのかも。
お化粧、表情に・・・それぞれ美麗を祈願して。
鏡絵馬が出来るまでは、塀で囲われれひっそりした僅かな空間て、とても落ち着いた雰囲気だったのですが・・・(u_u。)
連休もあってか、訪れる人も多いです。
方丈の庵の復元模型は新しく竹垣で囲われ・・・存在感が出ています。
各地を移動している間に「栖(すみか)」として仕上げたのがこの「方丈」で、移動に便利なように全て組み立て式になっています。
以前、「鴨長明と河合神社の資料展」が北西の小さな建物であった時の記事です。方丈の庵の小さな模型など展示されていて構造も分かります◆記事は→こちらです。
鴨長明 (かものちょうめい)
久寿2年(1155)下鴨神社禰宜(ねぎ)鴨長継の次男として生まれました。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍したが、望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜の地位につくことも叶わず、神職としての出世の道を閉ざされました。このことから強い厭世感を抱くようになり、『方丈記』を書くに到ったといわれています。
後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗りました(一般には俗名を音読みした鴨長明と呼ばれる)。大原山に隠棲し、のち日野の外山で草庵を結び「方丈記」を著しました。
日野南山には「鴨長明方丈石」があります。かつてはその岩の上に長明の草庵があったとされています。
◆日野あたりを歩いた時の記事→こちらです。「鴨長明方丈石」までは行っていませんが、道に石碑がありました。
本殿横の貴布禰(きふね)神社の扉が開いていました。貴布禰神社はあの貴船神社と関係があるようです。
中を撮らせていただきました。
下鴨神社の紅葉は京都で一番遅いと言われています。この塀も紅葉で彩られます。
東西の鳥居の前に門扉が出来て、塀は取り払われて・・・河合神社の雰囲気は随分変わってしまいました。個人的には淋しい限りです。
山中伸弥教授・・・ノーベル医学生理学賞受賞おめでとうございます。ヽ(´▽`)/
・・・京都から優秀で元気な日本を・・・日本に夢と希望を持ちましょうね。有り難う。
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