金戒光明寺(黒谷) 桜の風景
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日は大荒れの天気でした。ソメイヨシノはほぼ葉桜になってしまいましたが、このブログでは満開の桜をお届けします。
今日は金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)、「くろ谷さん」の名で親しまれる浄土宗大本山。法然上人がはじめて草庵を営まれた地の桜の風景です。
徳川家康は幕府を盤石なものにする為、特に京都には力を注ぎ、直轄地として二条城を作り所司代を置き、軍隊が配置できるように黒谷と知恩院をそれと分からないように城構えとしました。
南には大軍が一度に入ってこられないように小門しかなく、西側には立派な高麗門が城門のように建てられました。
会津藩主松平容保が幕末の文久2年(1862)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1000人が京都に常駐し1年おきに交替しました。
会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせた新選組誕生の地です。
小高い岡になっている黒谷は自然の要塞になっており、特に西からやってくる敵に対しては大山崎(天王山)、淀川のあたりまで見渡すことが出来ます。また、黒谷古地図によると浪華城遥矚(ようしょく)とあり大坂城まで見えたといいます。
慶応3年12月9日(1868年1月3日)、この年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって薩摩藩・長州藩が京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止されました。
ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っています。
金戒光明寺は数多くの映画やテレビ時代劇で撮影が行なわれています。
この石段もかつて時代劇のロケ地でしたが・・・石段が整備され、鐘楼に囲いが出来て雰囲気が変わってしまって、、、
石段から、振り返って山門
山門を上から、、、右に小さく赤いのは平安神宮の大鳥居です。
その昔は天王山、淀川、大阪城まで見渡せたのですね。
鐘楼横のこの坂道も土塀に趣があって時代劇のロケ地としてよく見かけました。
山門を境内の塔頭の桜越しに
西翁院 (奥の方の塔頭)の枝垂れ桜
西翁院にある淀看(よどみ)の茶席(重文)は、茶席より淀川の帆船を見ることが出来たのでこの名が付けられました。
土塀と石積み・・・この道もステキ
必ず撮影する場所です。
三重塔
くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立されました。
三重の塔に安置されている文殊菩薩と脇士の像は運慶の作。
アフロ仏としてお馴染みになった五劫思惟阿弥陀仏 (ごこうしゆいあみだぶつ)
普通の阿弥陀仏と違い、頭髪(螺髪・らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特にめずらしく石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃の制作と思われます。
極楽橋から桜と山門です。
この土塀と枝垂れ桜の風景も良いですね。
京都の桜風景・・・飽きないでくださいね。まだまだ続きますよ。
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