地蔵院(竹の寺) 緑の境内と細川頼之
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先日、松尾大社から南に歩いていくつかの古刹を訪ね、鈴虫寺までを記事にしました。さらに山裾の道を南に行くと
緑の木立の中に、地蔵院の総門が見えてきます。地蔵院は、南北朝時代の貞治6年(1367)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院です。一休禅師が幼少時を過ごした寺でもあります。
管領(かんれい)とは将軍を補佐する役職で、当時は細川、斯波(しば)、畠山の三家だけが任されました(三管領)。
細川頼之は、三河(現在の愛知県岡崎市)に生まれ、室町幕府初代将軍足利尊氏に従う父のもとで、阿波に派遣されて南朝と戦いました。参道両側は竹林です。
阿波在陣中の正平7年/観応5年(1352)に、南朝の京都侵攻で父が戦死します。頼之は弔い合戦のため軍を率いて上京し、尊氏の嫡子足利義詮軍に属して、男山合戦に参加して南軍を駆逐しました。細川頼之公の碑
その頃、尊氏の庶子で義詮の異母兄の足利直冬が南朝と通じ、山名時氏ら反幕府勢力を結集して京都を脅かします。幕府は義詮を総大将としてこれに対抗し、頼之も加わり南朝を退けます。本堂
その後、頼之は中国地方へ向かい数カ国を統轄し、各地で軍勢催促や感状授与など軍事指揮権のほか、所領安堵や守護権限など行政職権を行使して、南朝に対抗しました。本尊は地蔵菩薩
その頃、中央では将軍尊氏が死去し、義詮が2代将軍となり、従兄の細川清氏が執事職に任命されます。正平17年/貞治元年(1362)に、清氏は南朝側に加わり、阿波へ渡ります。頼之は将軍義詮から清氏討伐を命じられ、白峰城でこれを破り、清氏はこの戦いで戦死しました。
中国地方が安定すると、頼之は中国管領を解任されて讃岐・土佐の守護を兼ねて四国管領に任じられ、河野通朝を追討して四国を平定しました。開福稲荷大明神
幕府の管領となっていた斯波義将とその父・斯波高経が失脚(貞治の変)すると、頼之は幕府に召還され、正平22年/貞治6年(1367)の義詮の死の直前に執事(管領)に就任しました。地蔵院を建立したのがこの年です。向こうは中門
管領となった頼之は、当時11歳の3代将軍足利義満を補佐し、官位の昇進や花の御所の造営など、将軍権威の確立に関わります。また、倹約令など法令の制定、公家や寺社の荘園を保護する半済令(応安大法)の施行などを行いました。
中門を入ると左に、頼之遺愛の方丈の前庭があります。開山・宗鏡禅師が作庭した平庭式枯山水庭園で、京都市の登録名勝に指定されています。ここから中は撮影禁止ですのであしからず。
頼之の施政は、政敵である斯波氏や山名氏との派閥抗争、渋川幸子や寺院勢力の介入、南朝の反抗などで難航します。また、今川了俊の九州制圧も長期化していました。地蔵院は苔が綺麗なことでも有名です。
天授5年/康暦元年(1379)細川氏が紀伊の南朝征討に失敗したのを契機に、諸将は頼之の罷免を求めて京都へ兵を進めて将軍邸を包囲しました(康暦の政変)。このクーデターによって、頼之は義満から退去命令を受けて領国の四国へ下り、途中で出家しました。
後任の管領には斯波義将が就任し、幕府人事も斯波派に改められ、一部の政策は覆されました。斯波派は頼之の討伐を訴えましたが、これは義満が抑えたそうです。紅葉の頃の地蔵院もお勧めです。
頼之の弟の細川頼元が幕府に対して赦免運動を行い、ようやく認められました。そして、元中8年/明徳2年(1391)には斯波義将が義満と対立して管領を辞任し、頼之は義満からの命令を受けて上洛しました。本堂の左手に行きます。、
義満は頼之の管領復帰を望みましたが、頼之は既に出家していたためにこれを辞退し、代わりに養子の頼元を推薦してその補佐をしました。境内一円は京都市の文化財環境保全地区に指定されています。
ところが、翌年(1392)になって頼之は風邪が重篤となり死去してしまいます(享年64)。葬儀は義満が主催して相国寺で行われたそうです。細川頼之の墓(細川石)
地蔵院は、室町時代には京都五山に匹敵する特権を与えられるとともに、多くの寺領が寄進され、隆盛を極めました。宗鏡禅師の墓、こちらも自然石です。
しかし、応仁・文明の乱(1467~1477)によりすべての堂舎は焼失し、さらに復興後に天正13年の大地震(1585)で大きな打撃を受けますが、細川家の援助もあり江戸時代中頃には復興しました。
細川家ゆかりの寺として、今でも細川家の方々が参拝に来るなど関係は深いそうです。
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