6 醍醐 山科

2016年6月14日 (火)

花山稲荷神社 醍醐天皇創建の古社

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

勧修寺から始まった今回の山科の寺社巡りの最後は、花山稲荷神社です。神社の場所はすぐ分かったのですが、正面の入口(鳥居)を探すのにちょっと苦労しました。北にある鳥居から入ります。

「花山(かざん)稲荷神社」は平安時代前期の907年、醍醐天皇の勅命によって創建されました。(参道は桜のトンネルでした。)

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醍醐天皇が山階(やましろ)に住む外祖父・宮道氏の館に行幸した夜、夢に「宇迦之御魂」となのる白髪・白鬚の老人が現れ、「私をこの花山の地に祀れば、永く国民と国土を護ります」と告げました

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そして、「跡たれて光やわらぐ西の山 人の願いを三つの社に」と繰り返し唱えて消えたといいます。 夢から覚めた天皇は御神託の通りに勅命を出して、上中下の社殿を造営させ三柱の大神を勧請したという創建の逸話があります。

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古くには当社を西山稲荷と呼び、「花山」という社号の由来は、御神詠から、当社を厚く崇敬した花山天皇にちなんで、あるいは当地の旧名「花山」によるものともいわれています。一条天皇も当社を厚く崇敬し、永延2年(988)社殿を再建しました。

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高倉天皇の時代には、平清盛の嫡子、小松内府平重盛が承安4年(1174)伏見稲荷に参詣した夜、夢の中で花山の神様から神託を授かりました。「世を治めようとするなら、少しの野心もあってはならぬ。身を慎めよ」と戒めた後、

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「朝日さす西の山端に跡たれて 人の願いを満てぬことなし」.と御神詠を与えました。重盛は花山村の稲荷社に参詣して社殿神域の荒廃を嘆き、源太夫判官を奉行に任じて、南北300メートルの地を区切って社地と定め、立派な諸社殿を復興しました。

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祭神の「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」は俗にいう稲荷大神で、穀物を作り蚕を飼って織物を作る技術をもたらした神とされ、家屋の守護神でもあります。「神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)」は、宇迦之御魂大神の母神です。

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当社が伏見稲荷大社の「元宮・母宮・奥宮」と呼ばれるようになったゆかりの神で、商売繁盛の神です。「大土之御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)」は土地田畑の神で、天孫降臨の道案内をした猿田比古大神と同じ神で、導き、交通の神でもあります。

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摂社の「熊丸神社」 祭神は速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)、佐田比古大神(さるたひこのおおかみ)です。速秋津比売大神は水門神、潮荒い海の神で大祓の祝詞にも出てきます。佐田比古大神は大土之御祖大神と同じ神です。

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昔、人々は知らず知らずの内に犯した罪、身についた穢れを海水で清め、身心を清浄に保つ様に努めたそうです。当社で願い事をする人は、先ずこの神に参り、禊祓いをうけるのが正式な参拝の作法だそうです。

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摂社の「達光宮(たつこうのみや)」 市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)、金山比古大神(かなやまひこのおおかみ)、金山比売大神(かなやまひめのおおかみ)、天目一筒大神(あめのまひとつのおおかみ)を祀ります。

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市杵島比売大神は達光宮弁財天ともいい、交通安全と交易の守護神、商売繁盛、芸能・技芸・弁舌上達の信仰があります。金山比古大神・金山比売大神は金属・鍛冶精錬、鉱工業の守護神です。天目一筒大神は鉄を鍛錬する「ふいご」を神格化した神です。

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平安時代の刀鍛冶師・三条小鍛冶宗近が参篭参詣し、当地の埴土で鞴を作り、名刀「小狐丸」を鍛え上げました。それを聞いた諸国の刀鍛冶、金物師達が競って参詣し、技術の向上を祈願したといわれています。これは天目一筒大神の功徳だとされています。

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上の逸話にヒントを得て、DMMサービスのブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に刀剣男士「小狐丸」が登場しました。人気のキャラクターらしく、沢山の絵馬がかけられていました。

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実は、達光宮は山科の栗栖野丘陵一帯に広がる「中臣群集墳」に属する円墳の上に建っています。この名は飛鳥時代の政治家・中臣鎌足の館があったことに由来し、この円墳には、製鉄に関与した一族の長が葬られていともいわれています。

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「四社神社」 祭神は左から久久之智大神(くくぬちのおおかみ)、草野比売大神(かやのひめのおおかみ)、埴山比売大神(はにやまひめのおおかみ)、速秋津比売大神(はやあきつひめのおおかみ)です。

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久久之智大神は屋船久久之智大神ともいい、木の神、草野比売大神は草木や家屋の神です。埴山比売大神は土や肥料の神です。これら三柱の神様は本社の祭神の宇迦之御魂大神の幸魂だそうです。.

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「水分社(みくまりのやしろ)」 祭神は天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)、国之水分大神(くにのみくまりのおおかみ)です。水分社はすべての生命の根源である水の神です。また、水に関係する全てを司り、製紙、染色業の守護神でもあります。

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江戸時代の元禄年間の1701年、現在の本殿が大石内蔵助の義兄・進藤源四郎の寄進により建立されました。また、内蔵助が討入前に近くに隠棲し、当社に討入の成就を祈願したといいます。本殿の裏に内蔵助ゆかりの断食石があります。

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内蔵助がこの上で断食して、討ち入りの策を練ったといわれています。また、内蔵助が寄進したとされる木製の鳥居が本殿の裏にあります。

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「御塚(おつか)」 本殿北側の森林中や参道の脇に、八百万の神々のごく一部の八十余柱を祀っています。

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「御嶽山御塚」 参道脇の楠木のそばにある御嶽大神の岩境には、大国主(おおくにぬし)大神、少彦名(すくなひこな)大神を祀っています。これらの神は医療の神として崇められ、病気平癒、身体健勝を祈る人が絶えないそうです。

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鎌倉時代の初めの寿永2年(1183)には当社は盗賊に放火されて、社殿や文書等すべてを焼失したといわれています。これ以降の変遷は相次ぐ戦乱のため不明ですが、この地には城砦があったともいわれています。

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花山寺の辺りに住んでいた僧覚栄が宝殿一宇を建立し、また貞和年中(1340年頃)に洛中の一色六郎定員が洛中洛外に勧進して社殿の復興につくしたと伝えられています。(本殿の正面に東参道があります。)

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室町時代の天文年間(1532年頃)から参詣者が増え、特に江戸時代の元禄年間(1700年頃)には稲荷講が設立されて、洛中の人々が団体で参詣するようになり大いに賑ったといわれています。(東参道横の児童公園)

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昭和初年頃まで(1930)相変わらずの賑わいを見せていましたが、太平洋戦争後一時寂れました。戦後は宗教法人花山稲荷神社として、神社本教に所属して再出発し、次第に復興、平成15年(2003)には鎮座1100年の式年大祭を盛大に行ったそうです。

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2016年6月13日 (月)

大石神社 赤穂事件と忠臣蔵

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事の折上稲荷神社を出て、久しぶりに大石神社を訪れました。

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「大石神社」は、昭和10年(1935)浪曲師・吉田奈良丸の提唱を受けて、当時の京都府知事が大石神社建設会の会長となり創建され、忠臣蔵で知られる大石内蔵助良雄を祀っています。この近くに内蔵助の隠れ家があったそうです。

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吉田奈良丸の叙勲を祝い、当時の岸大阪府知事が「耐雪梅花香」と揮豪した記念碑があります。

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忠臣蔵はおなじみの物語ですが、そもそもの事件は「赤穂事件」と呼ばれています。

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すなわち、元禄期に江戸城松之大廊下で、高家旗本の吉良上野介に斬りつけたとして切腹に処せられた播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭に代わり、家臣の大石内蔵助以下47人が吉良を討った事件を指します。

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後に、この事件を基にして人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』をはじめ、様々な作品が作られ、その創作作品の総称が「忠臣蔵」と呼ばれています。

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創作作品のため、事実と異なる点や、史実にはない物語が作られるのは当然のなりゆきです。

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例えば、浅野内匠頭が殺傷事件を起こした原因、吉良上野介の人物像、大石内蔵助をはじめとする赤穂義士たちの行動や討ち入りに至った意図などです。

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事件が起こった後の元禄期には既に、事件の真相について(儒)学者たちの間で様々な見解が出されました。

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その論点の中心は、内蔵助らの行動が「仇討ち」なのか、彼らが義士として賛美すべきものなのかという点でした。当時の多くの儒学者は、内蔵助らの行動が仇討ちとはいい難く、幕府の裁定が正しいと主張しました。

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たとえば、佐藤直方や荻生徂徠は事件の発端は喧嘩ではなく内匠頭の一方的な暴力で、彼は幕府に処罰されたのであるから、吉良上野介はそもそも主君の仇討ちの相手ではないと主張しました。

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また佐藤は、内蔵助らは吉良邸討ち入りの後に自主的に切腹すべきで、そうせずに幕府に報告にあがったのは、生きながらえて禄をはむためではないかと批判しています。

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実際、事件の30年前に宇都宮藩を脱藩した奥平源八が、父の仇の同藩の元藩士奥平隼人を討った「浄瑠璃坂の仇討」が起こりました。源八の一族40人以上が徒党を組んで火事装束に身を包んで奥平家に討ち入りました。(鳥居の横に「大石良雄像」)

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源八らは、幕府に出頭して裁きを委ね、幕府は本来ならば死罪であるところを伊豆大島への流罪という寛大な処分を行いました。 そして、恩赦後に彼らは他家へ召抱えられました。「天神うし」

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一方、太宰春台は、浅野は吉良を傷つけただけなのに浅野を切腹に処したのは幕府の処罰が行き過ぎである。内蔵助らは吉良ではなく幕府を怨むべきで、彼らは幕府の使者と一戦を交えた後、赤穂城に火を放って自害するべきだった主張しました。

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幕府の使者とは、赤穂城を明け渡すよう申し渡す使者のことです。幕府も批判する、ある意味で過激な春台の主張に対し、幕末まで議論が続いたそうです。

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「義人社」 大坂の豪商・天野屋利兵衛を祀っています。利兵衛は、赤穂藩出入りの商人で、内蔵助らの潜伏を支援し、吉良邸討ち入りの際には武器を調達したといわれています。

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上で述べた学者たちの議論とは別に、「忠臣蔵」は庶民感情に受け入れられ、その人気は現在に至るまで続いています。(鳥居の横には枝垂桜の巨木があります。)

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「大石桜」と呼ばれるご神木で、かって内蔵助の隠れ家にあった桜を移植したものといわれています。4月には「さくら祭」が行われます。

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明治時代、日露戦争後の国家主義的思想の高揚とともに忠臣蔵ブームが起こりました。この頃盛んになった浪曲や活動写真(映画)を通じて、義士の武士道や犠牲精神が鼓舞されました。

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大正デモクラシーの時代には、忠義よりも人間的な側面に焦点をあてた作品も誕生しますが、大正末期になると浪花節などのラジオ放送によって再び忠臣蔵ブームが起きます。(本殿前の鳥居を出ると正面に拝観無料の「忠臣蔵宝物館」があります。)

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一方、忠君愛国的な義士像や内蔵助の偶像化を批判するような小説が登場するのもこの頃です。(それほど狭くはない部屋ですが、忠臣蔵に関する様々な資料が陳列してあります。)

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昭和10年代前半の日中戦争前後に再び忠臣蔵ブームが起こりました。この頃の特色は天皇制を意識したもので、登場人物が天皇を崇拝していたという作品も登場しました。

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日中戦争から太平洋戦争になると、義士精神が国民の道徳的規範であるとされました。このような活動の中心となったのが「中央義士会」でした。戦争末期には忠臣蔵が米英への仇討ちと国家への絶対的忠誠の手本とされました。

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この神社が創建された時代(昭和10年)の背景を説明しようとしてちょっと説明が長くなりました。創建には義士会も協力したそうです。(ここには人気の「ポニー」がいるはずですが、午前中の雨でよそに行っているそうでした。)

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「忠臣蔵」をフィクションと割り切れば、この神社の歴史ロマンあふれる雰囲気を楽しむことができます。

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2016年6月12日 (日)

折上稲荷神社 働く女性の守り神

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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昨日の記事のかねよで食事をした後、山科に戻ってきました。まず、この日稲荷祭が行われている「折上(おりがみ)I稲荷神社」を訪れました。珍しいお神輿の行列は町内をまわっていて、この記事の後で紹介します。

境内北(写真の左)にある稲荷塚(京都市史跡)は6世紀(古墳時代)のもので、稲荷神の前身、祖先神(田の神)が祀られていました。

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後の奈良時代の和銅4年(711)に稲荷大神が降臨して、同じ時期に降臨した伏見稲荷と共に最古の稲荷神といわれています。

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折上稲荷と伏見稲荷は東西の直線上にあり、いわゆる”レイライン”(聖地どうしが直線で結ばれる)をなしています。そのため、折上稲荷は伏見稲荷の奥の宮ともいわれ、同時にお参りすると稲荷のより強いご利益があるとされています。

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江戸時代末期の孝明天皇が即位した時に、側に仕える多くの女官が病気になったため、折上稲荷神社に御祈祷が命じられました。

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祈祷の後、女官達が奇跡的に回復したことから、女官達の間で「折上稲荷様の御利益は折り紙付き」といわれるようになりました。天皇は、以後も女官達が元気で働いてくれる様にとの願いを込めて「長命箸」をこの神社に奉納したそうです。

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祭神として、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神 (わくむすびのかみ)を祀っています。商売繁盛、良縁祈願、悪縁封じ、浮気封じ、美しい髪、心の病平癒など、特に女性の信仰も集めてきました。

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上で紹介した女官たちの逸話にちなんで、宮司さんが折ったキツネのお守りが授与されます。「金のおきつね」(商売繁盛・金運・仕事運)と「銀のおきつね」(開運・良縁・災難除け)は記事の最後に写真があります。

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その他、節分祭の前日と当日だけの黒い「節分おきつね」(災難厄除け)や稲荷祭当日・宵宮だけの赤い「稲荷祭おきつね」(何倍もの全てのご利益)があります。風水にちなんでおきつねの「前掛け」の色が毎年変わるそうです。

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稲荷塚の周囲に沢山の摂社や遺跡があります。

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「稲荷塚」 稲荷大神が最初に降臨した場所で、1,500年前から現在まで、商売繁盛、子孫繁栄、愛や平和の祈願として信仰され続けているそうです。鳥居の左手前に「中臣群集墳跡」という石碑があります。

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塚の上にある「稲荷大神」、ここが最初に降臨した場所のようです。

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こちらは「五社稲荷大神」

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「ひょうたん大神」 祇園の芸妓・お雪は、財閥モルガン氏と結婚してアメリカの社交界で評判となり、日本人女性の地位を高めたといわれています。モルガンお雪がいつも持っていたひょうたんのお守りの神を祀り、女性の玉の輿、良縁、出世にご利益があるとか。

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「お稲荷さんの授け知恵」 石段の横に人間の脳にそっくりな木のコブがあります。ストレスよけ、創造力、学習記憶などを司る脳の各部分(看板に描いてあります)を撫でてご利益をいただくのだそうです。

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「寶大神」 古くより株、宝くじ、賭け事などの祈願の信仰が厚い神様だそうです。稲荷塚の斜面にあります。

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「三九郎稲荷神社」 稲荷塚の右手(東)にあります。この地に折上稲荷大神が降臨した時に、使いとして守られた白きつね三頭を祀っています。きつねたちは苦労してやっとこの地にたどり着いたことから、三頭の苦労した稲荷きつね(三苦労稲荷)といわれます。

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きつねたちにあやかって、人間が生きる上での(人間関係、健康、お金に関する)三大苦労を除いてくれる神様と信仰されてきました。

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稲荷塚の裏にある「裏参りの御座」 稲荷塚の表正面だけでなく裏正面も参って御利益アップを祈願します。

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江戸時代に裏も参って成功した人が、柵を作って他人を入れなくしたところ罰があたったそうです。その人は悔い改め、他人に裏参りを勧めたところ、多くの成功者が出たといわれています。

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神社に来るときに、「折上稲荷祭」の神輿巡行に出会いました。男の子が先頭の車に乗って太鼓をたたいています。しばらく神輿を追いかけて写真を撮りました。

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後の神輿を先導する子供神輿には、三九郎稲荷の祭神が乗っています。

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上で紹介した三九郎稲荷の逸話にあやかり、担ぎ手の子供はきつねのお面を付けています。

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主祭神の折上稲荷が乗る神輿 町内をまわってお旅所に向かいます。神社に戻るのは夕方になるそうです。

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他の神社では、女性だけの女神輿は見かけますが、最も重要な神輿は女人禁制がほとんどです。この神社は、女性の守り神だけあって担ぎ手に女性も交じっています。

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2016年6月11日 (土)

蝉丸神社と「かねよ」

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昨日の記事の勧修寺を出て、国道1号に乗って大津方面に向かいました。途中から京阪電車と並走して大谷駅を過ぎるとすぐに逢坂山の峠になります。ここはかって関所があった場所で、下の写真のかねよの看板の右に「逢坂山関址」の石碑があります。

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上の石碑から左の東海道旧道に入り少し下ると鰻で有名な「かねよ」があり、ここでお昼をいただきました。

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明治5年(1872)創業の老舗ですが、通りの向かいには予約が不要な「レストラン」もあります。

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ここの庭園は八百坪あるそうで、中央に小川が流れ、桜、さつき、楓がそれぞれの季節を彩ります。夏は特に「関西の箱根・軽井沢」といわれ、市中より数度低く暑さ知らずの避暑地だそうです。

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また、百人一首の三条右大臣に詠まれた名木「逢坂山のさねかづら」がこの庭に唯一現存しているそうです。

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部屋は2名から40名までの20室あり、それぞれ木々に囲まれて静かな自然の中でお食事がいただけます。紅葉の頃も見事だと思います。

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頂いたのは「きんし丼」で、鰻の上に大きなだし巻きがのっています。他に鰻まむしやちょっとお高い定食各種、一品ものなどがあります。レストランの方は本店のメニュー以外に洋食や定食・セットなどもあります。

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冬は雪見を兼ねて食通の珍味、かねよ独特の”うなぎのすき焼”が頂けるそうです。お食事のあと、お庭を見させていただきました。

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庭の東は大津絵師の「岩佐又兵衛」、通称「吃の又平(どものまたへい)」の旧跡だそうです。又平は今から300年前に貧苦と闘い路ゆく旅人にその軽妙な筆で書きなぐり、ついにその技を天下の名筆とまでうたわれました。

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又平は絵筆の才が師の土佐光信に認められないのを嘆き、自害を決意して手水鉢に自画像を描くと、鉢の裏にまで絵がぬけたそうです。その筆力のすばらしさに師から土佐又平光起の名を許されました。 (庭には音羽山からの清水が流れています。)

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大正時代の詩人の野口雨情が来店したとき色紙に残した歌 「うなぎ料理は逢坂山にひびくかねよが日本一」

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出口(入口)の横に瀟洒な建物があり、お土産コーナーになっています。

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お土産だけでなく、大津絵や民具などが展示してあり、ちょっとした資料館みたいでした。

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かねよを出て、すぐ近くにある蝉丸神社を訪れました。「蝉丸神社」は、平安中期の天慶9年(946)蝉丸を主祭神として祀った神社です。旧街道沿いの斜面の上に上ります。

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蝉丸は盲目の琵琶法師として知られ、天禄2年(971)には円融天皇から綸旨(りんじ、勅旨を文書にしたもの)が下され、以後歌舞音曲の祖神として芸能に携わる人々に崇敬されました。急な石段を上ったところに神輿庫があります。

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当時芸能の興業をするには、蝉丸神社の免許が必要とされたといいいます。蝉丸はこのあたりに住んでいて、峠を行きかう人々を思い浮かべて詠ったのが、「これやこの ゆくもかえるもわかれては 知るも知らぬも 逢坂の関」。

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その後 江戸時代前期の万治3年(1660)現在の社殿が建立され 猿田彦命(さるたひこのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめ)が合祀されました。

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猿田彦命は道案内の神、街道の守護神、豊玉姫命は結縁や安産、海上安全の神です。

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隣にある摂社「皇大(こうたい)神宮社」 天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀ります。

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参道の石段下の「車石」 大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめ多くの物資を運ぶ道として利用され、江戸時代中期の安永8年(1778)には牛車だけでも年間15,894輌が通行したそうです。重い荷物を引いて、雨の日などは大変な苦労だったそうです。

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京都の心学者・脇坂義堂は、文化2年(1805)に一万両の工費を出して、大津八町筋から京都三条大橋にかけての約12kmの間に車の轍(わだち)を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ、牛車専用通路として通行に役立てました。

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かねよの庭にも車石があります。

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2016年6月10日 (金)

勧修寺 花菖蒲と睡蓮

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カキツバタの頃に行きそびれた勧修寺に行ってきました。前の晩から降った雨が昼頃には止んで、氷室池には睡蓮と花菖蒲が咲いていました。上の山門を入ると正面に「大玄関」があります。

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「勧修寺(かじゅうじ)」は、山科・来栖野(くるすの)にある真言宗山階(やましな)派の大本山で山号を亀甲山といいます。(拝観は大玄関の横にある中門から入ります。)

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平安時代前期の900年、醍醐天皇が生母の藤原胤子(いんし)追善のために、東大寺の承俊律師を開山に迎えて創建したのが始まりです。(中門を入ると右に「宸殿」があります。江戸時代の1697年明正院の旧御所から移築された建物で京都市文化財。)

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勧修寺という名は、醍醐天皇の祖父・藤原高藤(たかふじ)の諡号からとったものです。(宸殿の横を回って裏に行きます。)

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鎌倉時代に後伏見天皇の第7皇子の寛胤(かんいん)法親王が15世住持となり、それ以来近代まで門跡寺院となりました。(「書院」は江戸時代前期の1686年京都御所の建物の部材により再建され、重要文化財に指定されています。)

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書院の左前にある「臥竜の老梅」 樹齢300年といわれる白梅で、江戸時代に京都御所から移植されたといいます。親は根が残り、子は枯れ木、孫は今も花を咲かせて3代が一つになった木だそうです。

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中央は「勧修寺型灯籠」 水戸光圀が寄進したと伝えられる雪見燈籠です。

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まずは本堂に向かいます。境内にはたくさんの(親切な)立て札や看板があります。

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「本堂」(市指定文化財)は、江戸時代に霊元天皇の仮内侍所を移築したもので、醍醐天皇の等身大といわれる千手観音立像を安置しています。左に半夏生(はんげしょう)の苗があります。

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半夏生です。「ご贈呈中 抜いてご自由にお持ち帰りを」と書いてありました。

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弘法大師像の周りに四国八十八箇寺の霊石が並べられていて、それらを踏んで歩けば2分で霊場周りができるそうです。

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本堂は境内の西にあり、この道は東に向かっています。

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向こうに「五大堂」が見え、前に護摩木が積んであります。

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「氷室池」の前の芝生に来ました。ここは、「勧修寺氷室園」といい、池を中心とした池泉回遊式庭園で京都市指定名勝になっています。中央の高い木は「千年杉」と呼ばれ、

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京都の庭園中最も高い杉だそうです。水鳥がとまると狩野探幽の絵のようだと看板に書いてあります。

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この庭園は平安時代の遺構とされ、京都では最も古い形式だそうです。(「観音堂」 昭和に建てられ、観音菩薩像を祀ります。)

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氷室池には3つの中の島があります。平安時代には1月2日に池に張った氷を宮中に献上して、その厚さによって五穀豊穣を占ったといいます。しばらく池の花菖蒲と睡蓮を見て回ります。

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ところで、『今昔物語集』に勧修寺の創建にまつわる逸話が書かれています。平安時代前期の857年、藤原高藤が南山階(山科)に鷹狩に行ったとき、栗栖野で雷雨に見舞われました。

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雨宿りに立ち寄った大領(たいりょう、郡司)の宮道弥益(みやじいやます)の屋敷で一夜を過ごすことになりました。高藤は、酒や肴を運んできた弥益の美しい娘の列子(たまこ)に惹かれ契りを結びました。

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このとき高藤は15-16歳、列子はもっと若かったといいます。高藤は形見の太刀だけを残して屋敷を去りました。

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父の良門に狩を禁じられた高藤は、6年後に父が亡くなると弥益の屋敷を再び訪れます。すると、列子のかたわらに幼い娘がいて、高藤の子・胤子でした。列子は、高藤との再会を待ちわびていたのです。

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母子は高藤とともに京都で暮らすことになりました。後に胤子は宇多天皇の妃となり、醍醐天皇が生まれ、高藤だけでなく宮道家も官位が上がり栄えたそうです。列子(たまこ)の話は「玉の輿」という言葉のルーツになったともいわれています。

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池の周囲を回ります。

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手前の島の木の上はアオサギ(昔はシロサギでした)の巣になっていました。中央の2羽は頭に冠毛があり雛鳥です。

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向こうの建物は観音堂。

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池の周囲には石仏が並んでいて、西国四十八箇所巡りができるようになっています。

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池の向こうに書院が見えます。

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この石仏たちはずいぶん古いようです。

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池をほぼ一周して観音堂の近くに「弁天堂」があります。

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「翠微瀑(すいびばく)」 翠微とは山の中腹のことだそうです。那智の滝を表しているのかも知れません。

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向こうの醍醐北端山が借景となっています。

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宸殿の前に戻ってきました。

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2014年10月 3日 (金)

酔芙蓉 咲く 大乗寺 

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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※写真は全てクリックで拡大します。

初秋の楽しみの花の一つが「酔芙蓉」(すいふよう)。
「酔芙蓉の寺」として知られる、山科の大乗寺に行って来ました。

大乗寺 (だいじょうじ)  法華宗   地図です
縁起は古く300年以上前に遡るが、近年は廃寺の危機にあった。
平成4年に、大本山本能寺の執事長の職を辞して無住の当寺に移った現 岡澤海宜住職がツルハシ1本で参道造りからはじめ、酔芙蓉の挿木を育て、今では1300本に増えた酔芙蓉が見事な花をつけており、立派な花寺となりました。

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山際の木立がうっそうとした中に、「酔芙蓉の寺、大乗寺」はあります。

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寺院建築の本堂はまだありませんが、中には・・・

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祭壇がちゃんとありました。いつの日か立派な本堂に納まりますように。

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大きなどんぐりがボトン、ボトンと落ちてきています。

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酔芙蓉をかき分けるように進みます。(上から眺められるように脚立が用意されていました)

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このブログでは大乗寺の酔芙蓉を何度も記事にしていますので、「酔芙蓉」はご存知かと思いますが・・・

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酔芙蓉 (すいふよう)
朝は白く咲き、時間がたつと淡いピンク変化、そして夕刻には鮮やかな濃いピンク色に・・・
「酔」の名の如くに、酔った人の顔が赤く変化してゆくような花です。

幾重にも重なった透き通るほどに繊細な花びら、上品な色合いです。 

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たった一日だけ咲く「一日花」。はかない花です。

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赤く丸くなっているのは、1日だけ咲いた花の終わった姿です。

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境内には日蓮の晩年の歌碑や百人一首「源宗干朝臣」「宗千の祖父第五十八代光孝天皇」の歌碑、京都市詩吟連盟の歌碑他ニ基の歌碑が立つなど、文学の寺としても親しまれています。

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平成15年、酔芙蓉観音像が建立され多くの人々の参詣を得ています。

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お昼1時半ころに訪れて・・・1時間弱。

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僅かに濃くなってきたように思います。

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一番赤くなるのは5時を過ぎると聞きました・・・下は古い写真ですが(撮影:2004年)の午後3時過ぎの花の色です。

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隣のお寺(光照寺)に掲げてあった言葉

  「他人を見る眼も 大切だが、自分を見る眼は もっと大切だ」

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酔芙蓉は10月半ばまで見頃は続きます。

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ホトトギスが咲き始めていました。

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2012年6月23日 (土)

勧修寺 3 青い額紫陽花 

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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拡大する写真には※拡大と表示。(ブログ残量が少なくなり、拡大写真を減らしています)

勧修寺 (かじゅうじ)   真言宗山階派の大本山 山号:亀甲山
寺伝によれば、昌泰3年(900)醍醐天皇が、生母藤原胤子の御願により創建したと伝え、寺号は、天皇の祖父に当る藤原高藤の諡(い)号をとって勧修寺と名付けられた。

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ここを通るたびに「桜の時期は良いだろうな」と思うのですが・・・来年にでも。

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塀の下には・・・石垣に近づけない為の工夫ですね。これじゃ痛くて近づけません。

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芝生がとても綺麗。

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書院と宸殿は、明正天皇より旧殿を賜って造られたといわれ、庭園は、氷室池を中心とした池泉回遊式庭園で、夏には、池の水蓮が美しい花を咲かせる。山科区勧修寺仁王堂町 

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観音堂と前の広い芝生。左は氷室池

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境内には青い額紫陽花があちこちに咲いていました。

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とても鮮やかな青い色です。

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境内はほとんどがこの額紫陽花でした。

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本堂

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本堂は、江戸時代に霊元天皇より仮内侍所を賜って、本堂内に千手観音像を祀る。

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丸い敷石がとても美しい。

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勧修寺を3回にわたってお届けしました。

※また週末でのコメント欄を閉じるのを忘れていました。つい忘れてしまいます。コメント欄は開けておりますが、お返事出来ないことお許しを・・・m(_ _)m

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2012年6月22日 (金)

勧修寺 2 半夏生と花菖蒲と睡蓮と

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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拡大する写真には※拡大と表示。(ブログ残量が少なくなり、拡大写真を減らしています)

勧修寺の氷室池、色とりどりの花菖蒲が水際にいっぱい・・・だと思って行ったのですが・・・アレェ~??・・・なんか白っぽい。

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以前来た時は花菖蒲が池の淵にいっぱいだったのに・・・

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以前、ここに半夏生(はんげしょう)ってあった??

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半夏生(はんげしょう)
名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日)の頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説があります。

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白い花のように見えますが、花のすぐ下にある葉っぱです。初夏になると徐々に白く色を変え、8月には徐々に緑に戻ります。

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半夏生が素敵な両足院はこちらを見て下さいね 

※拡大
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花菖蒲の多かった記事はこちらです

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睡蓮・・・今回は睡蓮も良いなあと思うところが無くて・・・(u_u。)

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この年は良かったなあと思う睡蓮はこちら白睡蓮 紅睡蓮 見て下さいね。

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白睡蓮は広くギッシリ埋め尽くしていましたが、どうもピンとこなくて・・・

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勧修寺は青い額紫陽花が境内いっぱいに咲いていました。もう一回勧修寺をお届けします。

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2012年6月21日 (木)

勧修寺 1 氷室池 ちょっと神秘的

目次 からたっぷり京都をご覧ください。2006・1・27から毎日更新。

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拡大する写真には※拡大と表示。(ブログ残量が少なくなり、拡大写真を減らしています)

勧修寺・・・本当は「かじゅうじ」と読みますが、最近では「かんしゅうじ」でも一応はOKのようです。来る途中で渡った橋が「かんしゅうじばし」って書いてあったようにも思います。

勧修寺には花菖蒲を求めて行ったのですが、花の写真は撮り過ぎて、見る気がしなくて・・・氷室池の周りがとても雰囲気が良いので先に致します。

では・・・大いに危険な氷室池の周りへ・・・ワクワク

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木々の間から見える赤が綺麗

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氷室池を一周すると西国三十三観音霊場めぐりが出来ます。苔むした石仏が点在しています。

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人の多いところから、はぐれたような鯉が。。。

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蓮の葉も大きくなっているよう。

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この大きな木の上では白鷺やアオサギが巣を作ります。

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アオサギが数羽いるだけでしたが、この時間は琵琶湖に行っているようです。夕方に帰ってくると立札が出ていました。

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睡蓮の中に2羽アオサギがいます。近場で済ましているのですね。

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向こうには観音堂

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・・・水に映った観音堂

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白睡蓮

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反対側の氷室池散策の入口は藤棚。花菖蒲も綺麗です。

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今日は暗い写真ばかりでしたが、このような神秘的な雰囲気の池を散策するのがとってもステキです。

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次回は氷室池に咲く花です。

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御所界隈 梨木神社 蘆山寺 他 |  3 智積院 |  3 東大路通 丸太町通 聖護院 |  3 東寺 塔頭 界隈 |  3 東山七条 三十三間堂 |  3 植物園 北山通り |  3 比叡山 延暦寺 |  3 清水寺の四季 |  3 清水寺~高台寺 八坂の塔 |  3 真如堂の四季 |  3 空 犬 猫 鳥 |  3 糺の森 河合神社 流鏑馬 |  3 西山 大山崎 大原野 |  3 西陣 市中 |  3 西陣 白峰神宮ほか |  3 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  3 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  3 近代建築 |  3 青蓮院 将軍塚 |  3 鞍馬 貴船 |  3 食事 懐石 甘党 |  4 三条 四条 木屋町 新京極 |  4 上賀茂神社 深泥池 他 |  4 下鴨神社の四季 |  4 京の川  |  4 京都駅 界隈 |  4 伏見 稲荷 藤の森 鳥羽 |  4 八幡市 加茂町 城陽 府下 |  4 八瀬 岩倉 修学院 宝ヶ池 |  4 北野天満宮 上七軒 平野神社 他 |  4 南禅寺 塔頭 水路閣 |  4 吉田山 散策 |  4 大覚寺 大沢の池 |  4 天龍寺と塔頭 |  4 妙心寺・ 塔頭 他 近隣 |  4 宇治 |  4 岡崎公園 岡崎疏水 |  4 嵐山 渡月橋 保津川 |  4 嵯峨野 鳥居本 |  4 平安神宮の四季 |  4 建仁寺 塔頭 |  4 御所(御苑) 界隈 Imperial Palace |  4 比叡山 延暦寺 |  4 泉涌寺 その界隈 |  4 真如堂の四季 |  4 空 犬 猫 鳥 |  4 糺の森 河合神社 流鏑馬 |  4 西陣  |  4 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  4 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  4 鞍馬 貴船 |  4 食事 懐石 甘党 |  5 下鴨神社の四季 |  5 京の川  |  5 伏見 酒蔵 濠川 |  5 八幡市 加茂町 城陽 府下 |  5 南禅寺 塔頭 水路閣 |  5 吉田山 散策 |  5 宇治 |  5 嵐山 渡月橋 保津川 |  5 嵯峨野 北嵯峨 鳥居本 |  5 御所(京都御苑) 四季 |  5 真如堂の四季 |  5 空 犬 猫 鳥 |  5 糺の森 河合神社 |  5 詩仙堂 曼殊院 比叡山麓 |  5 蹴上から南禅寺境内 永観堂 |  5 醍醐 山科 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