←新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。
※写真は全て拡大します。
新しいカメラの写り具合を楽しみに梅の咲いている所に行って来ました。
場所は先日”養源院 「江」が再興”としてお届けした「養源院」のある通り。
右は三十三間堂・・・ズラーっと客待ちのタクシーが並んでいます。
正面は南大門。左にある血液センターの向こうが養源院です。
養源院 やはり入って行く人は多いみたいです。
隣の法住寺へ・・・
法住寺 (ほうじゅうじ) 天台宗
永祚元年(989)右大臣藤原為光が、その夫人と女(むすめ)つね子(花山天皇女御)の菩提を弔うため創建。
当時は、北は七条通、南は八条通、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶ広大な地域を占めていたが、のち火災にかかり荒廃しました。
保元3年(1158)後白河天皇は、法住寺の地を院の御所と定められ、上皇となって住まわれました。
その後、当寺の寺域内に、蓮華王院(三十三間堂)や長講堂を造営された。
明治維新後、後白河天皇陵が宮内庁所管となったので、御陵と寺城を別にして大興徳院と改め、渋谷より親鸞上人自作の阿弥陀如来像と自刻影像(そば喰い木像)を移したが、昭和30年に法住寺の旧号に復しました。
本尊は不動明王像(身代わり不動尊像)
後白河天皇が法住寺殿に住んでおられる時に、法住寺合戦で木曽義仲が院の御所に攻め入ったとき、当時の天台座主が敵の矢に倒れ、法皇は難を逃れたことから「お不動様が身代わりになってくださった」と。方除け、厄除け、国家安泰の守護仏とされている。
また・・・播州赤穂の浪士、大石良雄が山科に隠棲中、山科街道を通って遊郭へ通う道すがら身代わり不動に義挙の成就を祈願しており、当寺に赤穂浪士四十七士木像を安置しています。 ◆一力亭の記事はこちらです。
境内に紅白2色に咲く梅はまだつぼみ。枝垂桜も綺麗なところです。
南側の竜宮のような門の前には・・・紅梅が満開でした。
濃い赤色が綺麗な梅の花。
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ほのかな香りが漂っていました。
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柵の隙間から・・・三十三間堂の中を・・・
蓮華王院・南大門 (重要文化財)
この南大門は豊臣秀吉が文禄4年(1595)に造立した「大仏殿方広寺」(現・国立博物館一帯)の南門と伝えられています。
南大門につづく築地塀は高さ5.3m、長さ92m。
◆豊国神社、方広寺あたりは→こちらをご覧ください。
瓦に太閤桐を用いていることから「太閤塀」と呼ばれています。
南大門を東に行った所に・・・「大仏(方広寺)旧境内南限」(東面)の石標があります。
「池田屋事件 もうひとつの舞台地」(西面)
龍馬の奥さんのお龍さんが住んでおられたところ。上下の説明も読んで下さいね。
「此の付近 坂本龍馬 北添佶摩など土佐志士寓居跡」(南面)
南大門から真っ直ぐ北へ、博物館の先に「豊国神社」「方広寺」・・・広大です。
紅梅が綺麗に咲いていました。
続いて・・・智積院、新日吉神社へと梅を愛でに参りました。
ぐっと春めいて来て・・・雪を忘れそうですが・・・
雪景色の総集編がこのままでは中途半端。。。鷹ヶ峰、洛北などあと3回くらいは、最新の写真と交互にお届けします。
◆今日も応援宜しく。
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是非よろしく→ こちらも是非 →
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三十三間堂の塀と法住寺の紅梅。
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