サツキの芬陀院(雪舟寺)
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東福寺の塔頭 雪舟寺こと芬陀院(ふんだいん)です。
早々ともう行った訳ではありませんが、昨年の今頃は新型インフルエンザで京都は閑散としていました。
ちょうどサツキの時期。ここぞとばかりにアチコチ回ったは良いものの・・・公開時期を逃してました。(実は他にもあるのですよ)
芬陀院(ふんだいん) 通称名称 雪舟寺
東福寺塔頭。雪舟作と伝える鶴亀の庭があるところから雪舟寺で知られる。元享年間(1321-24)に関白一条内経が創建。庭園は禅院式枯山水。‘茶関白’一条恵観ゆかりの茶室図南亭が有り、遺愛の勾玉の手水鉢が残されている。
元亨年間(1321~1323)に時の関白一條内経が定山祖禅和尚(東福寺開山聖一国師の法孫)を開山にむかえて創立した。 水墨画などで有名な雪舟等楊禅師が東福寺に参るときは必ず当院に寄寓し、禅院式枯山水庭園‘鶴亀の庭’を作ったので雪舟寺ともいう。
‘茶関白’一条恵観ゆかりの茶室図南亭が有り、遺愛の勾玉の手水鉢が残されている。
建物は元禄4年(1691)と宝暦年間(1751~1763)の両度、火災にかかったが、桃園天皇の中宮恭礼門院の御殿の1棟を賜って移築し、さらに明治32年(1899)に昭憲皇太后から御内帑(ないど)金を下賜されて改築した。
庭園は、寛正応仁の頃(1460~1468)、時の関白一條兼良公の好みにより雪舟が作ったと伝える禅院枯山水の庭である。
京都最古の枯山水庭園でこの南庭の鶴島・亀島は立体的表現(二段基壇)になってる。
お抹茶をいただきながらこの景色を。
一部荒れていたのを昭和12年に重森三玲氏により復元・修理される。
芬陀院も何度も記事にしていますが・・・
人がずっと座られたままで撮れなかったり(今回)、障子の開け具合が違っていたりして、撮った写真もその都度違います。雰囲気も違いますので【目次】から見て下さいね。
京都五山の中で一番多く訪れている東福寺。カテゴリーは京都五山・第四位 東福寺。
最初の頃は「駒札」丸写しで、写真と説明が合ってなくて・・・南庭、東庭がごっちゃになってるようです。(方向音痴なもので・・・m(_ _)m)
こちらは東庭
図南亭
障子に透ける外の明かり・・・和みますね。
いろんな角度から撮ってみました。
サツキの花が少し咲いているだけでお庭が華やか。過去にサツキの頃に行ってますが、もっと花は少なくて・・・花のベストに行くのって難しいですね。
鎖樋、雫の落ちる先が花に埋まってて。ナイスです。
スミマセ~ンm(_ _)m 今気が付きました(10:20)。
この日の芬陀院は記事にしていました。m(_ _)m 未公開写真だとばかり思っていました。
未公開は【霊雲院】でした。(室内の修正がじゃまくさくて、延ばし延ばし)
ヤッパリ記事にしてました。m(_ _)m こんな素敵な風景を残しておく筈はないですよね。
去年の記事を覚えてらっしゃる方、ゴメンナサイ。選んだ写真もほぼ同じ・・・
今年も桜の未公開のところはあります。
・上品蓮台寺、・本法寺、・岡崎神社、・醍醐寺(五重塔 金堂) ・知恩院 ・枳殻邸・・
他にも節分など、終われば直ぐに記事にしなくては・・・な、処もたくさん。┐(´д`)┌ヤレヤレ
来年回しか、ある日突然記事にするか・・・忘れないようにしなくては。(゚ー゚;
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このお部屋でゆっくりくつろげます。
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