堺町御門から宗像神社へ
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
余り変化のない梅情報にしびれを切らして、京都御苑にやって来ました。今回は丸太町通に面している堺町御門から入りました。この門も幕末の動乱の舞台に登場します。文久3年(1863)の「八月十八日の政変」では、薩摩藩と会津藩により尊攘派が一掃され、長州藩は堺町御門の警護の役を解任されます。
また、元治元年(1864)の「蛤御門の変」では、長州の久坂玄瑞が率いる山崎の部隊が堺町御門から攻め入り、門の東にあった鷹司邸に立てこもりましたが、屋敷に火を放たれて長州藩士は自害します。
建礼門前通の南にある梅はまだつぼみでした。
このあたりに来ると、いつも必ず立ち寄る九條池あたり。鷹司邸と向かい合って堺町御門の西にあった九條邸の跡地です。この日は茶室・捨翠亭で催しものがあったようです。ここから西にある宗像神社に向かいました。
宗像神社(むなかたじんじゃ)
延暦14年(795)に後の太政大臣藤原冬嗣が、平安京の皇居鎮護の神として筑前国の宗像神社を勧請したのが始まりとされる。その後、花山院家の邸内社となるが、明治天皇の東京遷都にともない、公家町は御苑に含まれた。明治8年(1875)に府社(県社)となり、戦後に神社本庁に属した。南の鳥居
鳥居を入って参道左に「京都観光神社」があります。昭和44年(1969)観光客の安全と業界の発展を祈念して建てられました。祀られているのは、道案内の神の猿田彦大神です。
境内のあちこちに水仙が咲いていました。
本殿 宗像三女神の多紀理毘売命、多岐津比売命、市岐嶋比売命が祀られています。
本殿の隣に、少将井社、金刀比羅宮、花山稲荷社があります。少将井社は、かつて中京区の少将井にあった八坂神社の御旅所を遷祀したもの。花山稲荷社は花山院家の守護神を祀っています。
本殿前には、小さな鉢がいっぱい置かれていて、これからいろいろな花が咲くと思われます。
一つの鉢に紅白の梅
こちらの水仙は、西の参道脇
西の鳥居を出ると、紅白の梅が咲いていました。
これから北にある梅林に向かうのですが、開花の状況が気になります。
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