伏見人形 伏水街道 東福寺
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非公開文化財の特別公開「第44回 京都冬の旅」が22日で終わります。
秋だと思っていた即宗院の公開、長い間待っていました。
今日は即宗院までの東福寺の境内と伏水街道 伏見人形をお届けします。
京阪(JRも)東福寺を降りて、東福寺までの道の陸橋の下に「伏水街道 第二橋」という石の柱を見つけました。
伏見街道(伏水街道)
鴨川に架かる五条大橋東詰から三筋目が北の起点。鴨川東岸を南下して、伏見(京都市伏見区)の京町通につながる街道。
豊臣秀吉が関白を辞し伏見に居を移すにあたり、天正年間あるいは文禄年間に京と伏見を結ぶ道として開いたといわれます。(この辺り今は本町街道っていうのかな?)
江戸時代の伏見は交通の要衝であり、京と伏見の間の物資の運搬路として、この伏見街道に並行して、陸路の竹田街道や、水路の高瀬川水運が開かれました。
しかし、当時の旅の中心は徒歩であり、伏見稲荷大社をはじめ沿道に名所が多いこの道は、観光の道として旅人の往来が多く、沿道には京から伏見に掛けて家屋が連担し、にぎわいを見せました。
伏見とは「伏水」に由来するというだけあって、地下水が豊富。湧き水を利用した酒造りの町です。
稲荷山の埴土を以って作ったのが伏見人形。
その伏見人形のお店「丹嘉さん」があります。
伏見人形は江戸時代後期に最盛期を迎えた最も古い郷土玩具です。
全国で90種類以上もある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないと言われるほどの土人形の元祖であり、民俗的な美しさを誇っています。
当時、伏見街道沿いには、約60軒もの窯元が軒を連ねたが、現在では寛延年間(1750年頃)創業の当窯元、丹嘉のみ。(伏見人形の丹嘉さんHPより)
ガラス越しに撮ってますのでお見苦しくてスミマセン。
可愛い伏見人形がいっぱい並んでいます。
伏見人形および伏見街道の写真は過去に撮ったものです。
今日の目的の「即宗院」までの東福寺の境内を・・・伏見街道に面した北門から。
大きな椿が・・・花はたくさん付いていましたが見頃は終わり。
この辺りが好きなのです。
通天橋 地面に緑が現われていました。
膨大な紅葉の落ち葉処理・・・大変だったでしょうね。
通天橋を超えると、幼稚園の塀沿いに咲いているのが・・・
河津桜でしょうか。。。満開。 椿はまだ蕾。
紅葉で賑わった時に咲いていた桜は、今も可愛く咲いていました。
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即宗院へは偃月橋を渡ります。
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