島原 「角屋」 もてなしの文化美術館
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最近のテレビで島原の「角屋」「輪違屋」を何度か見ます。検索でもこのブログに来てくださってるようですから、今日は島原の「角屋」「輪違屋」のリメイク版にしました。
角屋(すみや) 角屋もてなしの文化美術館 ◆場所はここ
江戸時代の社交遊宴文化の余香を今に伝え、幕末には勤皇、佐幕派双方の会合場所となりった維新の旧跡といえるところです。
島原には、揚屋と置屋があり、揚屋は太夫芸妓などを一切かかえず、置屋から太夫等を呼んで宴会を催す場で、角屋の建物は揚屋建築の唯一の遺構として、国の重要文化財の指定を受けています。
江戸初期から中期までの揚屋は、間口が狭く、奥行きのある小規模の建物であったため、一階を台所および居住部分とし、二階を主たる座敷としました。その二階へお客様を揚げることから「揚屋」と呼ぶようになりました。
多くの方が誤解されているのは、「江戸の吉原と混同されて遊郭だと思っておられる方が今もおられる」ということです。
私もその一人でしたが、前回行った時に説明を受けました。
角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えています。したがって、江戸吉原の花魁(おいらん)を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません。
揚屋は今で言う料亭にあたり、角屋においては、その座敷、調度、庭のすべてが社寺の書院、客殿と同等のしつらいがなされ、江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場でした。(下は拡大して読んでくださいね)
角屋は揚屋としては明治5年(1872)まで営業し、それ以降はお茶屋業に編入されました。お茶屋業としては、昭和60年(1985)まで「松の間」において宴会業務を行っていました。揚屋は「一見さん」(紹介のない方)を迎えることがなく、支払いは「つけ(掛売り)」のみで、現金決済を行いませんでした。
幕末の頃には諸大名をはじめ、西郷隆盛、桂小五郎、久坂玄瑞、坂本竜馬、山縣有朋、伊藤博文、などが角屋を利用し、西郷隆盛などの勤皇の志士たちが軍用金調達のため鴻池、加賀屋などを招き饗宴をしたと伝えられている。
新撰組の近藤勇や芹沢鴨なども出入りし、その刀痕が柱に残っています。
玄関を入った所には「刀掛け」があります。
右の「網代の間」へ・・・網代に組まれた豪華な天井です。
角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年、国の重要文化財に指定された。また、絵などは応挙・蕪村など、当時一流の画人の作品で、特に蕪村の「紅白梅図」の大作は重要文化財に指定されています。
昔の照明には、蝋燭を灯す燭台や灯油の行灯が用いられました。室内を明るくするためには、たくさんの蝋燭を灯すことが必要でその結果、油煙で天井、襖などの室内が真っ黒に煤けています。(室内は暗く、かなり明るく写真修正しています)
坪庭を横に見て・・・「松の間」へ
庭に「臥龍の松」(がりょうのまつ)があることから「松の間」といわれています。
襖絵は「金地桐に鳳凰図」 岸連山筆
江戸中期の島原には、俳壇が形成されており、中でも角屋の6代目・7代目の当主は、蕪村・太祇らを師として俳壇の中核として活躍していました。
「臥龍の松」
清隠斎茶席
揚屋建築の特徴は、饗宴施設のため、大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配するとともに、客振舞のために、寺院の庫裏と同規模の台所を備えることにあります。
「刀箪笥」もあります。
寺院の庫裏と同規模の台所というだけあって広いです。
2階には素晴らしい扇の間があるそうですが、別途特別料金のうえ撮影禁止なので行きませんでした。(ポスターから、2階・扇の間)
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「輪違屋」 (わちがいや) 現在もお茶屋として営業中です。
輪違屋は太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋です。現在の建物は安政4年(1957)に再建、その後増改築され明治4年現在の姿になった。※非公開。
これが「輪違い」 知恵の輪みたい。◆「輪違屋」についてはこちらの記事を
※今日は過去3回分の「島原の角屋」の記事を1回にまとめました。説明はその時のをコピー。写真数は 1/3になりました。◆角屋の過去記事→① ② ③
※輪違屋には39回夏の旅で訪れました。後日記事にします。
※ブログ容量が少なくなり過ぎたため、最近の記事は写真を少なくしています。
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「島原大門」 慶応3年(1867)建築
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