2012 紅葉 歌の中山・清閑寺
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清水寺からちょっと外へ出て、清閑寺に行って来ました。
清閑寺は『平家物語』の悲恋で知られる高倉天皇と小督局ゆかりのお寺です。
旧境内の山腹には六条天皇清閑寺陵、高倉天皇後清閑寺陵があります。
下の写真の左の方向に天皇陵があります。清閑寺へは先の階段を行きます。
清閑寺(せいかんじ) 真言宗智山派 山号:歌中山
歌の中山といわれる清閑寺は延暦21年(802)に天台宗の寺として紹継法師によって創建され、当時は清水寺と並ぶほどの大寺院だったが、応仁の乱で焼失。慶長年間(1596年 - 1615年)、性盛によって再興され、真言宗となりました。
しかし、かつての法華三昧堂や宝塔などのならんだ偉観はなく、今はわずかに本尊十一面観音像を安置する本堂一宇があるのみ。
山号の「歌の中山」は清水寺から清閑寺に至る山道をいいます。
振り返ると六條天皇稜 高倉天皇稜が見えています。
山門を入ると小督局(こごうのつぼね)の供養塔があります。(向こうの小さい方)
宮中一の美女といわれ、高倉天皇の寵愛を受けた小督局が、帝の中宮建礼門院が清盛の娘であったため、清盛の怒りを買って宮中から追い出されたあと、ここで出家させられたところといわれています。養和元年(281)21歳で世を去りました。
小督局を忘れられなかった高倉天皇は、「私が死んだら小督のいる清閑寺へ葬ってくれ」と遺言されて亡くなられたので、この寺に埋葬されたといわれます。
寺の背後の山中に御陵があり、その傍らに小督局墓という宝筐印塔があります。
紅葉の色づきはじめと、今回(11月27日)と2度参りましたが、ともに誰も来ておられませんでした。
郭公亭(かっこうてい)は安政5年(1858)清水寺成就院の日照上人が、西郷隆盛と密かに会合して、都落ちの計画をたてた有名な茶室です。
境内は紅葉が溢れて、まさに紅葉の名所です。
「小督桜」と名づけられた大きな桜の木もありました。
京都で製作される陶器は,天平年間(729~49)に行基がここに窯を築いたのにはじまると伝えられています。
江戸時代初期より本格的な作陶がはじまり、三文字屋九右衛門が開いた粟田口焼が粟田焼の起源といわれ、その後、東山一帯の音羽・清閑寺・清水(きよみず)などに築かれた窯は清水焼の起源となりました。
清水焼きの小さな陶器が売られており、ゆっくり出来ます。
境内の要(かなめ)石から眺めると、視界が扇形に広がります。京都タワーも見えます。
鐘楼と紅葉
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色とりどり
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