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昨日は鞍馬寺の「竹伐り会式」を見に行ってきました。テレビでは毎年見ていても、初めてなのでちょっと楽しみです。
山門から山の上へのケーブルカーが工事中でしたので、本殿までかなりの坂道を登りました。

途中の様子は省略(別に記事にします)して、ここが竹伐り会式が行われる本殿です。両側が観客席、ここ正面は鞍馬小学校の生徒の席で、式が始まるとどかなくてはいけません。

鞍馬寺の竹伐り会式の起源は古く平安時代に遡ります。開始時間の2時になると法螺貝の音がして、すぐ下にある寝殿から稚児たちがやってきました。今日の式では大事な役目があります。

初夏のある日、鞍馬山中興の祖・峯延(ぶえん)上人が護摩修行を行っていたところ、北の峰から大蛇が現れて上人を呑み込もうとしました。昔の僧兵の衣装の大惣法師仲間 山刀を持っています。

舌が3尺もあって火炎のようだったといいます。

上人は、千手観世音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊の三身一体尊天の秘密の真言を唱えて、一心に祈ったところ大蛇はのたれ死にました。本殿前のしめ縄を切って、中に入ります。

このことを朝廷に奏上すると人夫50人を賜り、大蛇は切られて龍ヶ嶽に捨てられました。僧兵に扮し大惣法師仲間は左右(丹波座と近江座)に分かれて整列します。出合之儀、酒浄、所札が行われます。

その後もう一匹の大蛇が現れましたが、こちらは暴れることはありませんでした。稚児が導師に「竹伐りの神事めでとう候」と述べます。

そして、鞍馬山の香水(本尊・尊天にお供えする水)を絶やすことなく護ることを誓ったので、閼伽井(あかい)護法善神として本殿の東側に祀られました。閼伽井護法善神社

先に祈り斃(たお)された大蛇は雄蛇で、後の大蛇は雌蛇であったといいます。この故事にちなんで、青竹を雄蛇に見立てて伐るのが竹伐り会式です。稚児は丹波座に、「近江座の竹見事に候」 近江座には「丹波座の竹見事に候」と述べます。

本殿両脇には、雄蛇を表わす根のない竹と雌蛇を表わす根付きの細い竹が容易されています。儀式では雄蛇を伐り、雌竹は儀式のあと山に植え戻すのだそうです。

その後、稚児が両座に「竹ならしあげ候え」と述べると、「竹ならし」が始まります。後で行われる「勝負伐り」に備え、両座の竹を切りそろえて条件を同じにするのが竹ならしです。

青竹を切るのは結構難しそうで、何回も山刀を振り下ろして、切れると歓声が上がりました。

この後、舞楽が奏されました。

演題は毎年変わるとのことですが、

いずれも二匹の龍がたわむれて遊ぶ姿を表現しているそうです。

この後、丹波座(左二組)と近江座(右二組)に分かれて、竹伐りの儀(勝負伐り)が始まります。丹波座は京都、近江座は滋賀を示し、勝敗によって両地方の一年の豊凶を占うのです。

このように、両地方に分かれて竹を伐る速さを競うようになったのは、江戸時代の中頃からだそうです。峯延上人の故事にならって竹を5つに切り離します。

一番左にいた丹波座の一組みが雄たけびを挙げました。

切った竹を持って、すごい勢いで本坊に駆け込みます。そこまでが勝負なのです。縄を張った通路から見物客が締め出されるのは、真剣をもって走るので危ないからでした。

次は、右から二番目にいた近江座の一組みでした。

詳しいことは分かりませんが、次の一組みが両地方の勝敗を決めるはずです。

丹波座の残りの組が、ほんの少し早く切り終えました。地域対抗となると、見ていて興奮してしまいますね。

本堂に参加者が整列して、竹伐りの儀は終わります。

その後で、子供たちが本殿に上がり散らばっている竹の破片を拾います。持ち帰ると厄除けや無病息災の効果があるとされています。

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