2011 船鉾 祇園祭 山鉾巡行
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今日は山鉾巡行の4回目です。
巡行を最初から最後までベストポイントで撮れるのはこれが最後だと思います。
今回は長いですが、お付き合いくださいね。
今日は・・・船鉾だけです。
町内に帰って来てから撮ったのも合わせると枚数が多くなり過ぎました。
長い長い曳き綱に曳かれて船鉾がやって来ました。
船鉾(ふねぼこ)
『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来するもので、鉾全体を船型にしています。
この船鉾は『出陣の船鉾』といったそうです。
鉾の上には皇后と陪従する磯良・住吉・鹿島の三神像を安置します。
主神神功皇后は神面(文安年間作1444~1448)をつけ緋縅の軍装、その後に鹿島明神、舳先には、海神安曇磯良が龍宮の満干珠を住吉明神に捧げています。
船首には中国の想像上の水鳥である金色の鷁(げき)、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根からは紅白の長旒(ちょうりゅう)・吹流しをひるがえす。
鷁首は宝暦年間(1751〜64)長谷川若狭の作。
艫(とも)には黒漆塗螺鈿の飛龍文の舵を付けています。
綺麗ですね・・・これも京都の伝統工芸ですね。
飛龍文の舵 寛政4年(1792)に造られました。
町内に帰って来てから撮りました・・・すご~い。
宵山ではビニールがかかっていたからはっきりは分かりませんでした。
水引の刺繍雲龍図の下絵は西村楠亭(1775〜1834)の筆、鹿島明神の持つ長刀は、井上和泉守国貞(寛文年間1661〜 1672)作の逸品である。
現存するこの船鉾「出陣の船鉾」にたいして・・・2回りほど大きい「凱旋の船鉾」といわれ後祭のトリを務めた「大船鉾」(おおふねぼこ)がありました。
1864年の蛤(はまぐり)御門の変に伴う大火で焼失して、今は「休み鉾」となっていますが、復興に向けて動きだし製作が始まっています。
焼失後150年となる2014年ごろを目標に巡行復帰を目指し、骨組みに当たる「櫓」と囃子方が乗る「船」で構成する胴体部分の原寸大模型が既にできあがり、実際の巡行に使う胴体も9月に完成する予定です。(京都駅近くで展示するそうです)
大船鉾のHP。船首には龍の頭を飾り、大金幣が特徴だったそうです。(御神体を避けて撮らせていただきました)
巡行を終えて・・・船鉾の車輪です。
山鉾巡行は・・・まだこんなにあります。
北観音山→橋弁慶山→八幡山→鯉山→役行者山→ 鈴鹿山→黒主山→ 浄妙山→南観音山。
でも、記事の回数は1回で出来そうです。飽きたと仰らず・・・宜しく。m(_ _)m
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こちらも綺麗ですね。
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