葵祭 下鴨神社から上賀茂神社へ
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葵祭の行列が堺町御門を出て行った後、下鴨神社に向かいました。行列が下鴨神社に到着すると「社頭の儀」」が行われます。勅使が御祭文を奏上、御幣物を奉納し、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納されます。
社頭の儀の最後に「走馬の儀」があります。これは糺の森で行われ、誰でも(無料で)見ることができます。
欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく五穀が実らなかったが、ご神託によって馬の駆競(かけくらべ)を賀茂の神々に奉納したところ、風雨は おさまり五穀が実り民は安泰になったそうです。
上の故事にならって、全力で疾走する馬の姿を奉納するのが「走馬の儀式」で、葵祭の起源ともいえる最も古い儀式です。
行列が下鴨神社で休憩をしている間に、先回りして加茂街道に向かいました。北山大橋付近で待ちました。
最後の御所車
斎王代の御輿は、御園橋を渡って上賀茂神社に
二の鳥居を警護しています。手前は、検非違使志(けびいしのさかん)
勅使が舞人・陪従(べいじゅう)を率いて参進します。勅使は、天皇陛下からの御使いとして宮内庁掌典職が派遣されます。
行列が二の鳥居を入って、一連の儀式(社頭の儀)が行われます。
二の鳥居の向こうで行われている「社頭の儀」がときどき垣間見れます。
その後、勅使を先頭に参道右手にある「御所屋(馬場殿)」に向かいます。
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神前から戻って勅使に一礼。下鴨神社と違って乗尻(騎手)が袴をはいています。
乗尻は、5月5日に行われる競馬会神事(くらべうまえしんじ)と同様に、上賀茂神社旧社家(賀茂県主同族会)の方々です。
社頭の儀は天皇が賀茂の神に幣物を奉納するという、宮中の祭りの色合いが強くします。
一方、走馬の儀はかって葵祭(賀茂祭)が、賀茂氏の氏神祭だったころの形態を今に伝えているともいえます。
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