伊藤若冲と石峰寺
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知り合いと近くまで行ったので、石峰寺に寄って来ました。(撮影:9月24日)
石峰寺は最初の門を入った所から撮影が禁止になっていると思っていましたから、案内していくだけの予定でした。それが・・・
五百羅漢の撮影とスケッチが禁止でした。
全く撮る予定が無かったので、写真が少ないです。
石峰寺 (せきほうじ) (説明は石峰寺のHPより)
黄檗山 萬福寺を本山とする黄檗寺院で、宝永年間(1704~1711)に建立された禅道場です。本尊は昭和54年の放火で焼けるまでは薬師如来であったが、昭和60年10月の再建時に釈迦如来になる。
寛永年間に画家の伊藤若冲が草庵を結び7代蜜山修大和尚の協賛を得て五百羅漢を作成。当時1000体以上あったといわれるが、現在は四百数十体残っています。
伊藤若冲 (いとうじゃくちゅう)
江戸時代中期の画家。享保元年(1716)京都錦小路の青物問屋の長男として生まれ家業を継ぐが、40歳で家督を次弟に譲り画業に専念する。30代後半に相国寺塔頭慈雲庵の和尚と出会い禅に興味を持ち参禅し「若冲居士」の号を得る。
55歳までに代表作「動植彩絵」30幅などを相国寺に寄進する。
その後、黄檗山に入り石峰寺七代住職蜜山修大和尚と出会い協賛を得て五百羅漢の制作を始める。
天明の大火(1788)で家を焼かれ家産を失い後、寛政2年(1791)頃から石峰寺に隠栖したとされ、寛政12年9月10日、85歳で没し石峰寺に土葬され、遺髪が菩提寺の宝蔵寺と相国寺に埋納された。
本堂南に伊藤若冲の墓と貫名海屋(ぬきなかいおく)撰文のの筆塚が立っています。
お寺の境内は、いつも四季の花々が咲いています。
この石段を上り、あの赤い門を入ると五百羅漢の山になります。撮影はここまで。
拝観料は300円。 ◆石峰寺の場所はここです。
団扇と虫さされ防止スプレーが置かれていました。優しい心遣いのお寺さんです。
伊藤若冲の五百羅漢を見られる寺院としてここ数年大きく取り上げられています。
コスモスのアップを撮ってくれば良かった。
◆石峰寺はブログを始めた頃から何度も行って記事にしていますので、カテゴリーを1つに纏めました。五百羅漢は過去記事でご覧ください→こちらから。
撮影禁止になってることを知らないで、古い写真を出すと・・・文句をつけられる。そういうことを何度か経験すると・・・文句を言われてまでブログを作る必要性があるのだろうか??ブログを作るのは自身が楽しいけれど、待って下さってる方々へお届けしたい気持ちの方が勝ってる。
けれど、非難は私だけに・・・女だから? ランキングに参加してるから?
以前にキツイ文句がきたから・・・今回は撮る気が全く無かったので・・・
それにしても、赤い門が綺麗でしょ。それだけでもお届けしたくて。
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伊藤若冲の墓と貫名海屋の筆塚
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