船岡山 城跡と五山送り火
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先日、建勲神社の船岡祭を見た後で、船岡山の頂上を通って仁和寺に向かいました。神社の参道石段上からは比叡山が正面に見えます。石段を下りて西側に行くと、神社の玉垣沿いに道が続いています。
水平な道をしばらく行くと、船岡山山頂の平地に着きます。すぐ大きな岩が目に入りますが、かって神が降臨した磐座」(いわくら)の祭祀跡ともいわれています。
山頂にある三等三角点、標高は111.89mだそうです。後ろの煙突のようなものはよく分かりませんでした。
平安時代から船岡山は玄武(北方の守護神)にたとえられ、景勝の地でもあり様々な文学作品に登場します。西南の方には仁和寺の五重塔が見えます。
保元の乱(1156)では、敗北した源為義たちがここで処刑された。室町時代の応仁・文明の乱(1467-1477)では、西軍の山名宗全がこの地に城を築き、1511年にも合戦がおこった(船岡山永正の戦い)。ここは軍事的な要所でもあったようです。西の方には左大文字。
もう少し近づくと、火床まではっきりと見えます。
本能寺の変(1582)の後、光秀を打ちとった秀吉はここで信長の法要を行い廟を建設した。その後、建勲神社が建立されるいきさつは先日の記事にあります。山頂から下る途中にも公園があります。
この公園からは東の方が開けていて、北山から東山が一望できます。正面は比叡山。
ここは、送り火の五山のうち四つが見える貴重な場所です。まず、大文字(如意ヶ岳)
妙・法
船形
左大文字は山頂からの方がよく見えます。一度は船岡山から送り火を見てみたいと思いますが、何時間も前から場所取りをしなければいけないほどの混雑だそうで、躊躇します。途中にある、国指定史跡と応仁・永正の戦跡の石碑
昭和43年に船岡山全体が国の史跡、昭和6年には京都府指定風致地区、平成7年には京都の自然200選に指定され、地形や現状の変更が行われないように保護されています。
船岡山は、京都盆地特有の樹相が保たれ、外来種がほとんど入り込んでいない貴重な森でもあるそうです。
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