←新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。
※写真は拡大します。
春、桜の頃に白河院へ行きました。桜があると期待して・・・
けれど、見かけたのは小さな枝垂れ桜が1本のみ。余りにも淋し過ぎたので、先日、平安神宮に行った後に撮り直しました。今日は季節違いの写真が混ざっています。
白河院庭園周辺は、かつて白河天皇が営んだ法勝寺の境内にあたり、白河院の名称は、それに因んで付けられました。◆場所はここです。
門前には「此附近 白河院址」の碑、「諸九尼湖白庵・幻阿蝶夢五升庵址」の碑があります。下は門の中から外を撮りました。

白河院は、もと藤原良房の別荘で、北家藤原氏によって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇に献上され、承保2年(1075)天皇によってこの地に法勝寺が建立された。法勝寺は、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺とともに六勝寺と総称された寺で、東は岡崎道より300メートル東、西は岡崎道、南は現在の動物園の南、北は冷泉通より50メートル南に囲まれた広大な寺域を有し、境内には、金堂、講堂、阿弥陀堂、法華堂、五大堂、八角堂、常行堂などの諸堂が立ち並んでいた。中でも、池の中島の八角九重塔は壮大な高塔であったといわれている。しかし、文治元年(1185)の大地震により九重塔以外の諸堂の大半が倒壊し、更に康永元年(1342)の火災により残る堂舎も焼失した。その後覚威和尚によって一部再建されたが、衰退の一途を辿り、やがて廃寺となった。(白河院並びに法勝寺跡の駒札)

庭園と建物は明治から昭和にかけて呉服業を営んでいた下村忠兵衛が当地を所有した翌年(大正8年・1919)に造られました。

庭園を手掛けたのは7代目小川治兵衛(植治)。昭和57年(1982)に洋館と和館の一部が取り壊されたが、庭園部分は殆ど改変を受けませんでした。
桜の季節はちょっと淋しい風景でした。

茶室「無心庵」

池泉回遊式庭園。

錦鯉たちが優雅です。

・

・

庭園の構成には、東山への眺望を活かしつつ和館の傍にクロマツの大木を配することで、敷地に遠近感を与えるなどの工夫が凝らされている。さらに、樹木の特性を熟知した植栽の配置、琵琶湖疏水から引かれた水流の巧みな取り扱いなど、植治による円熟の技が随所に現れており、貴重なものである。平成15年4月1日 京都市指定名勝
(白河院庭園の駒札より)
白河院、法勝寺跡、白河院庭園は・・・現在、池泉回遊式の山水庭園と数奇屋造りの別館を有す京都らしい和風旅館「京都 白河院」として婚礼・宴会・食事もできる施設となっています。

ここへは誰でも入って歩けます。

・

敷地を囲んでいる塀にも趣があります。

お向かいに「法勝寺苑」ってありましたが・・・石柱が凄くないですか・・・

石にヤモリがへばりついているように見えます。家を守ってるんでしょうか?
白河院に再度訪れたのは6月14日。植木の職人さんが入っておられました。
※そして・・・14日の夕焼け空、覚えてらっしゃいますか・・・それはそれは綺麗でした。こちらのブログに載せました。→◆見てくださいね。
◆忘れずに今日も宜しくm(_ _)m
-------------------------------------------------------------------
是非よろしく→
こちらも是非 → 
-------------------------------------------------------------------
「京都 白河院」 旅館へのアプローチ。
最近のコメント