祇園白川 紫陽花の道
←目次 2006年1月27日から毎日更新しています。
先日智積院の青葉まつりを見た後、祇園白川沿いに歩いてきました。新橋から向こうに「辰巳大明神」が見えます。創祀は不明ですが、御所の辰巳の方角を守るために祀られたと考えられています。
伎芸上達の神として、芸・舞妓さんを始めとして祇園の人々がお参りに来ます。
右(北)の新橋通には料亭が並んでいます。
昔この巽橋の傍に狸が住んでいて、しばしば芸妓が騙されて川の中を歩かされたので、困った人々が祠を建てる約束をしたところ、狸の悪戯はなくなったとの言い伝えがあります。
橋の上から この日はサギはいませんでした。
この付近には、祇園の商店や料理屋さんが奉納した玉垣が並んでいます。
この道(白川南通)を西に向かって歩きます。
梅雨に入って、白川沿いの緑が濃くなったようです。
祇園をこよなく愛した歌人・吉井勇の歌碑 毎年11月8日には、吉井勇をしのんで祇園甲部の行事として 「かにかくに祭」が行われています。
歌碑のあたりから西に紫陽花が咲いていました。
春には白川沿いに枝垂桜が咲き、特に夜桜は見事です。
その京都祇園白川ライトアップ実行委員会がこの付近の最新情報を発信していて、現在の紫陽花の様子が分かります。
ところで、先の吉井勇の歌碑は、かって「大友(だいとも)」というお茶屋があった場所です。
戦時中に戦局が悪化して、このあたりの多くのお茶屋は廃業を余儀なくされ、撤去されてしまいました。
大友の女将「磯田多佳」は祇園甲部の芸妓でしたが、一方で夏目漱石、谷崎潤一郎、吉井勇など多くの文学者と交流した歌人でもあり、「文学芸妓」と呼ばれました。
多佳は、守っていたお茶屋も失い悲しみにくれ、終戦の年に亡くなります。
彼女は終生、雨の日と紫陽花の花を好み、大友の庭には紫陽花が植えられていたそうです。
このあたりに紫陽花が多いのは、多佳の思いが伝わっているのかも知れません。
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