奥嵯峨 雪の祇王寺 寒牡丹
←新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。
最近、何度も記事にしているお寺は既に説明を書いていますので省いています。写真だけというのは・・・ちょっと淋しいので、以前の説明コピーですが。。。(撮影:2月7日)
祇王寺 (ぎおうじ) (往生院祇王寺) 大覚寺・塔頭 真言宗
寺伝によれば、この地は、平安時代に、法然上人の弟子、念仏房良鎮(りょうちん)が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられています。
祇王、仏御前の物語を「平家物語 巻の一」から
平氏全盛の頃、都に白拍子の上手「祇王と祇女」という姉妹がいました。
姉の祇王が清盛の寵愛を得、妹の祇女も有名となり、毎月百石百貫の手当てもあって安穏と暮らしていました。
ある日、仏御前と呼ばれる白拍子が清盛の館にやって来て、舞をお目にかけたいと申し出ました。「祇王がいるところには叶うまいぞ」と追い返したものの、祇王が「私も同じ白拍子の身」と取り成して、今様を歌わせました。
昨日までの祇王への寵愛は何処へやら、清盛は仏御前に心を移し祇王を追放します。
もとの貧乏暮らしに戻った祇王の家族に代わり、仏御前の家族は栄えます。翌年、清盛は仏御前が退屈しているからと祇王を無理矢理呼び寄せました。
はるか下の座敷に祇王が通されたのを知った仏御前は気の毒でなりません。祇王をこちらへ通し自分には暇を出して下さいと願いますが清盛は聞き入れませんでした。
「かくて都にあるならば 又うき目を見むずらん 今は都を外に出でん」と言い、祇王(21才)、祇女(19才)、母刀自(45才)3人は尼となり嵯峨野のこの地で仏門に入りました。
母子三人が念仏しているところに竹の編戸をたたく者が。。。
清盛の館を抜け出し剃髪して尼の姿でやって来た仏御前(17才)でした。
祇王は「わずか十七にこそなる人の、浄土を願わんと深く思い入り給うこそ」と4人で住むこととし、みな往生の本懐を遂げたのでした。
4輪の寒牡丹が寄り添って。。。
まだらに残った雪ですが、冬の淋しげな庵に爽やかさを残しているよう。
藁の中の寒牡丹 雪除けに傘がかけられています。
4輪の寒牡丹の花が祇王、祇女、刀自、仏御前を偲んでいるのかも。
冬に咲く寒牡丹 鮮やかな花です。
雪の中で・・・強い花ですね。
雪の中に白い牡丹。
現在の祇王寺は昔の往生院の境内である。広い地域を占めていたが いつの間にか荒廃してささやかな尼寺として残り、後に祇王寺とよばれるようになりました。
明治初年に廃寺となった祇王寺、残った墓と木像は旧地頭大覚寺に保管され、明治28年 元の京都府知事北垣国道氏が嵯峨野にあった別荘の1棟を寄付され、これが現在の祇王寺の建物です。
山沿いの祇王寺はもう少し雪が残っているかと思いましたが、融けるのは早いですね。
秋はいっぱいの人で細い道が行列なのですが、さすがに誰もおられません。
今日は白い猫ちゃんはいません。元気にしてるかな?◆猫ちゃんのいる記事です。
堂内の仏間には、本尊大日如来像をはじめ、平清盛、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木像が安置されています。
今日はテンプレートの写真を「雪の大文字山」→「天神さんの梅」→「大文字山」に変えてややこしいことをしました。
季節によって写真を変えたかったのですが、変えるとトラブルが起こることが分かり・・急遽通年いける「大文字山」にしました。また変える予定です。
※季節写真の入れ替えは「カテゴリー目次」だけにします。現在「天神さんの梅」です。
昨日はぽかぽか陽気。暖かいと嬉しくなりますね。今日は20度を超えそうとか・・・ちょっとそれは困るかも。
このまま真っすぐ春に向かうのか、比良の八紘荒れ終いがあるのか・・・??
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祇王寺の手前の檀林寺の塀です。
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