2009秋 高雄 神護寺
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槇尾の西明寺から清滝川沿いに歩いて、ようやく高雄までやってきました。高雄橋を渡ると神護寺参道の上り口があります。
急な上りが続く参道には、2軒の茶店があります。
最後の急な石段の下まで来ると視界が開け、谷の向こうに周山街道のバス停あたりが見えます。
最後の石段は結構きつい上りです。
茶店が下に見えます。
ようやく、神護寺の楼門です。
高雄山の中腹にあるこの寺は紅葉の名所として知られていますが、空海や最澄、明恵も滞在したことがあろ古刹です。正式な寺号は「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」だそうですが、「神護寺」とよばれることが多く、楼門にも「神護寺」と書かれています。
境内に入ると、鮮やかな紅葉の色が目につきます。神護寺は、和気氏が建立した「神願寺」と同じく所縁があった「高雄山寺」の二つが天長元年(824年)に合併してできた寺だそうです。
空海の後、平安時代末期には衰退していました。その後、『平家物語』などで知られる文覚が仁安3年(1168年)にその再興を決意し、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、弟子の上覚によってようやく再興されました。
太子堂は空海の住房の「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建。内部の厨子には正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置しており、現在400年ぶりに公開されています。
太子堂から金堂方向、右は毘沙門堂
毘沙門堂 元和9年(1623年)の建築で、以前は金堂として本尊の薬師如来像が安置されていました。現在は平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置しています。
左が毘沙門堂、その後ろが五大堂で、どちらも元和9年(1623年)の建立。
金堂 入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂ですが、昭和9年(1934年)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたもの。
多宝塔 金堂からさらに石段を上ったところにあり、こちらも実業家山口玄洞の寄進。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置しています。春秋に特別公開があります。
多宝塔への石段途中からの金堂
多宝塔から「かわらけ投げ」に行く途中の池
向こうには地蔵院があります。
神護寺が全国の「かわらけ投げ」の発祥の地とか 素焼きの皿を投げます。
下は清滝川、気持がいいものです。
帰り道に楼門方向を眺めると、まだまだ見学者が続いていました。
楼門横にある本坊 入れませんが端正な庭が見えます。
金堂前の紅葉 日当たりがよいのか綺麗な色でした。
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