雪の高桐院 大徳寺・塔頭
←新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。2006・1・27から毎日更新。
昨日の積雪は期待した程ではありませんでした。
午後には雪も融けそうだったので思い切って鞍馬と貴船に行って来ました。
大原は?・・・って言われそうですね。雪の大原には既に行ってたっぷり撮ったのを記事にしていますので、今のところ予定はしていません。
去年の大晦日は大雪・・・大忙しでした。大徳寺の塔頭は3ヵ所廻りました。
今日はその最後「 高桐院 」です。(撮影:2010・12・31)
※説明部分はどの記事も「駒札」「京都観光Navi」「Wikipedia」から引用しています。
廻った塔頭の中でもやっぱりここが一番人が多かったです。
高桐院 (こうとういん)
江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(三斎)が、父・幽斎の弟・玉甫紹琮を開祖として建立した大徳寺の塔頭で、細川氏の菩提寺です。
三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれる名手で、当院の書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。
この景色を紅葉の頃に訪れて撮影する方が大勢です。
去年も紅葉の頃は敬遠しておきました。
◆紅葉の記事→こちらでご覧ください。2007年に行った時で、詳しく撮ってます。
額縁風に見えるお庭が素敵です。
書院に続く茶室松向軒は三斎好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名。
本堂前の庭園は江戸初期の作庭で、通称「楓の庭」と呼ばれます。
簡素ながら趣のある庭で、一面の苔地の中に一基の灯籠が据えられています。
寺宝では中国南宋時代の画家李唐の山水画二幅が有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と賞賛されています。
三斎とガラシャ夫人の墓。(※2007年の記事↑でハッキリ撮っています)
墓石となっている灯籠は、初め千利休が「天下一」と名づけ愛用の処、豊臣秀吉がその名声を聞き所望したが断ったもの。利休切腹のおり遺品として三斎に贈ったものです。
他に近世初期の歌舞伎踊りの名手、名古屋山三郎、出雲阿国の墓がある。
袈裟形のおり蹲踞
この浄水盤は加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り細川三齋に贈ったもので、地面低くおさめられているので「おりつくばい」と呼ばれる。
高桐院の後は今宮神社まで行きました。大徳寺境内と今宮神社はまた後ほど記事に致します。
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