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今日は5月末に訪れた東福寺の方丈庭園です。
昨日は久しぶりに映画を見てきました。
「剣岳 点の記」
明治40年に「劔岳の初登頂と測量」を果たす為の過酷な登攀映画なのです・・・良かったですよ。
若いころ剣岳に登りました。
そして映画の中でも「1番美しい所」とあった「仙人池から見る八ッ峰」・・・
・・・今も鮮やかに甦ります。
若いときは苦もなく登れた剣岳ですがもうダメですね、
あの頃の無理がたたって足を痛めました。
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東福寺 東大寺と興福寺から1字をとって名付けられた「東福寺」。
広大な方丈には東西南北に四庭が配され、「八相成道」に因んで「八相の庭」と称します。禅宗の方丈には多くの名園が残されていますが、四周に庭園をめぐらせたものは東福寺唯一の試み。当庭園は昭和13年(1938)年、重森三玲氏が作庭されました。
創建年代にふさわしい鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に、近代芸術の抽象的構成をとり込んだ重森三玲氏の「枯山水式庭園」です。
「八相の庭」とは四庭に配された「蓬莱」「方丈」・「瀛洲」・「壺梁」・「八海」・「五山」・「井田市松」・「北斗七星」と八つを「八相成道」(釈迦の生涯の八つの重要な出来事)に因んで命名されたもの。
※私、「八相の庭」を方丈南庭だけのことかと誤解していました。
四周の庭園を合わせていうようです。
古来中国大陸の蓬莱神仙しそうでは東の大海の彼方に仙人が住む「蓬莱」・「方丈」・「瀛洲」」・「壺梁」の四仙島があり、島には仙薬財宝があるとしんじられていた。南庭では四仙島に十八尺の長石を基本に巨石を剛健に配し、渦巻く砂紋によって「八海」を表し、西方には「五山」になぞらえた築山を置いている。
方丈正面の南庭 210坪(693平方メートル)
巨石による四仙島に見立てた石群と荒海。
◆東福寺はカテゴリー(目次)では③ ② ① ★旧、と写真の数もかなりあります。もっと素敵に撮れているのもありますので見てくださいね。
左から「瀛洲」(えいじゅう) 「蓬莱」(ほうらい) 「壺梁」(こうりょう)
この擬宝珠(ぎぼし)の色合いが好きでよく撮ります。
方丈表門
明治23年(1890)再建。昭憲皇太后の寄進とつたえる向唐破風で「恩賜門」ともいい、小型ながら明治期唐門の代表作です。 門の右は「方丈」(ほうじょう)の石組み。
西方の「五山」と荒海の「八海」
庫裏の屋根です。
東庭 「北斗の庭」 柱石の余材を利用して作られ「北斗七星」になってます。
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方丈北庭(裏庭)の「市松の庭」
丸刈りのさつきが咲いており、苔はこれから緑が増してゆくようです。
ウマスギゴケの緑と市松模様の敷石(恩賜門に使われていたもの)との色の対比。サツキの丸刈りとの調和も印象深く・・・彫刻家のイサム・ノグチが「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評したお庭です。
近代禅宗庭園の白眉として広く世界各国に紹介されています。
西庭の「井田市松」の庭。
さつきの刈込みと砂地が市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図します。
※後記:午後になってから八相の庭の記述が自分でもイマイチ理解できず、方丈で頂いた栞を見ながら写真と合わせました。(東福寺のHPや駒札には載ってなくて)
栞って目を通さないですね。何度も東福寺には行っているのに読んでいませんでした。
今日は後からかなり加筆しました。・・・が、本日の写真はイマイチが多くてm(_ _)m
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