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昨日は「くたびれ儲け」というところでしょうか・・・宇治がライトアップされていて・・・待望の「平等院のライトアップ」が見れると勇んで夕刻から出かけたのですが・・・
宇治上神社や宇治川沿い、中の島は花灯路で綺麗だったのですが、肝心の平等院のライトアップは前日で終り!!!・・・何ということ!!・・・連休まだ2日もあるのに。
・・・で、疲れ果ててます。
こういう日もあろうかと・・・既に作ってあった写真で記事を作っています。
蹴上にある日向大神宮 (ひむかいだいじんぐう) です。
蹴上の浄水場のつつじの公開の時に、向かい側に鳥居があって山に続く道が・・・浄水場から見て気になっていたところです。
訪れたのは新型インフルエンザで京都が閑散としていた頃。二条城から神泉苑、そしてココから南禅寺まで大移動した日です。
私はスッカリくたびれてしまってて、下のこの石の鳥居の前で座って待っていました。
日向大神宮、青龍山 安養寺の2つの石柱が。
登って撮ってきたのは夫です。ですから・・・サッパリ何処が何処なのか分りません。
写真を見るととても神聖な雰囲気の漂う、神の領域みたいな処です。
蹴上ダム・・・ここに架かる橋を渡って行きます。
この先は・・・私も写真で楽しみます。
いきなりですが・・・どれが1番恐いでしょうか。人? 猿? イノシシ?
嵯峨野の野々宮神社と・・・!? 不思議ですね。拡大させて読んで下さいね。
今日は写真が多いです。必要あるか無いか、同じ写真かそうでないか・・・分らなくて。
時系列で載せている筈です。
日向大神宮 (ひむかいだいじんぐう)
丁度朝日が昇る東の方向にあるので、日に向かうという名前がついたようです。
日向大神宮は、清和天皇の勅願によって天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後応仁の乱で焼亡したが、寛永年間(1624-44) に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝える。
※説明と写真が合ってるかどうか・・・間違ってたらゴメンナサイm(_ _)m
境内の最奥に南面して建つ内宮本殿は桁行正面1間、背面2間、梁行2間の神明造の建物である。両脇に棟持柱を建て、屋根の棟には内削ぎの千木と堅魚木8本をのせている。本殿の前方に建つ四脚門の御門の屋根にも内削ぎの千木と堅魚木6本がのり、両脇に板垣がとりついて内宮の敷地を区切っている。
内宮の前方一段下がったところに建つ外宮は、本殿・御門ともに内宮とほぼ同じ規模・形式をもつが、屋根の千木が外削ぎで堅魚木がそれぞれ1本少なくなる。
本殿はともに造営年代に関する資料を欠くが、社蔵文書や『拾遺都名所図会』(天明8年・1788刊)から18世紀末にはすでに建っていたことがわかり、部材が一部取り替えられているものの、市内では例の少ない神明造本殿として貴重である。また、御門と板垣で敷地を区画する社殿構成は古式を伝えている。
内宮・外宮のほか拝殿・社務所・摂社等一連の建造物が、敷地の高低差を利用して配されるこの神社の構成はみごとであり、周囲の山と一体となって優れた境内環境を形成している。
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女性一人じゃ行けそうに無い処ですが・・・なかなか良さそうですね。
こんな山の上にもえんむすびの神様・・・福土神社が。
福土・・・焼き物に良い土が採れるのでしょうか。
絵馬も・・・山の上・・・な、感じ。
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天の岩戸があるようです。
天の岩戸
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ここに来るまで、大変そうです。
宇治灯り絵巻も綺麗でしたよ。またお届けします。ご期待下さいね。
今、京都も秋祭りが各所で・・・爽やかな秋になりました。
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