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お待たせしました(かどうか?) 真如堂です。(撮影:13日)
今はもっと色付いていると思いますので、そのつもりで見てくださいね。
宗忠神社の表参道の正面に真如堂の総門(赤門)があります。
真如堂は、正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といい、比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺です。
門を入って右手に行くと、
今から、約1千年前の永観2年(984)、比叡山の戒算上人かいさんしょうにんが、比叡山常行堂のご本尊阿弥陀如来(慈覚大師作)を東三條女院藤原詮子の離宮があった現在の地に移して安置したのが、真如堂の始まりです。
「真如堂」は、もともとは本堂の呼び名でした。
三重塔(法華塔)は、宝暦年間(1751~1763)に建立され、文化14年(1817)に再建された。装飾が控えめで、古い塔の面影を残しており、京都府の文化財に指定されている。
紅葉の頃になると茶店が開きます。
本堂の左手の小さな池の中島に祠があり、赤崎弁天が祀られています。
『真如堂縁起』によると、本堂は完成したが、資金不足で供養の儀式ができないところ、赤崎弁才天のおかげでようやく資金が調達でき、その報恩感謝のために、祠をたてたとされています。
さらに進むと、元三大師堂があります。元三大師とは、「降魔大師」とも呼ばれた霊験ある高僧で、比叡山延暦寺第18代座主慈恵大師良源(913~985)のことです。
元三大師堂の前にある石灯籠は、琵琶湖疎水の工事の総責任者である田辺朔郎氏に感謝の意を込めて、明治38年(1905)に地元北白川の人たちが贈ったものです。
もう一度本堂の前に戻ります。
足利義教の執権職をしていた伊勢守貞経の弟平貞国は無常を感じて、仏道に生きようと真如堂にこもって念仏の行をした。3日目の明け方、夢枕にお坊さんが現れて出家を思いとどまらせた。家に帰ってみると、兄は上意に背き吉野に謹慎処分、代わりに貞国が家督を継ぐようにという命令が下っていた。
貞国は、阿弥陀さまのお陰がなければ、執権職を受けるどころか家も断絶いていただろうと感激し、あと7日7夜、合計10日10夜の念仏をした。これが「お十夜(おじゅうや)」の始まりで、「この世で10日10夜善いことをすれば、仏国土で千年善いことをしたことに勝る」という教えにしたがい、阿弥陀如来の法恩に感謝するための法要。
11月15日は、真如堂最大の年中行事「お十夜」を締めくくる結願法要が営まれ、僧侶や稚児などの行列が、境内を練り歩きます。その日、中風除け(タレコ止め)の十夜粥が参詣者に接待されます。雑炊のことを「おじや」というのは、「おじゅうや」 からきているとか。
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本堂を出て右手の道を行き、
本堂の裏にまわります。ここは、日陰が多いのかまだ紅葉が進んでいません。
今はかなり色付いているとは思います。
回廊から池の方向
もう一度本堂横の道まで戻り、次の目的地に向かいます。
次の目的地・・・お分かりですね。明後日の予定です。
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