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法金剛院を後にして妙心寺まで趣のある道を歩いて行きました。
右京区「花園」・・・北に衣笠山、西は双ヶ丘に接する。花園天皇(1297-1348)が建武2年(1335)、出家してここに行宮を造営(のち妙心寺)したことから地名になったという。
妙心寺 (みょうしんじ)
正法山と号し、臨済宗妙心寺派の大本山である。深く禅に帰依された花園法皇が関山慧玄を開山とし、離宮萩原殿を改めて寺とされたのが当寺の起りで、室町初期に一時中断し再興後応仁の乱で再び焼失したが、乱後雪江宗深(せっこうそうしん)が再建、弟子にも名僧が出て寺運はさかんとなり、塔頭が相ついで建てられ、地方へも当寺の勢力は発展した。南総門です。
日本にある臨済宗寺院約6000ヶ寺のうち、約3500ヶ寺を妙心寺派で占め、僧侶約7000人。禅専門の修行道場は21を数える。
本山、諸堂、伽藍の完備も、禅宗として全国随一、七堂伽藍を中心に46の子院、塔頭が建つ。(妙心寺境内全図)
京都の禅寺は、五山十刹に代表される、室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、それとは一線を画す在野の寺院とがあった。
前者を「禅林」又は「叢林」(そうりん)、後者を「林下」(りんか)といった。妙心寺は大徳寺と共に、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする「林下」の代表的寺院である。
勅使門の正面を撮り忘れました。横から・・・あの橋を渡りますが閉まってます。
勅使門より北へ三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈が一直線に並び、その東側に浴室・浴室鐘楼・経蔵が並ぶ。室町後期から江戸初期の建築で、近世禅宗伽藍の最も完備した形を示している。(一直線に並んだ写真を撮ることには気がつきませんでした)
三門 慶長4年(1599)建立。
五間三戸(正面の柱間5間のうち中央3間が通路)の二重門(2階建門)である。
境内で唯一の朱塗りの建物です。三門には空・無相・無作という、禅の境地による解脱の意味が託されています。
楼上には、円通大士(観世音菩薩)と十六羅漢が祀られ、極彩色鮮やかに飛天や鳳凰、龍の図が柱や梁に描かれています。
三門の向こうは南総門。向こうからこっちを撮れば三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈が一直線だったけど、境内広いし、カンカン照りで暑いし・・・行けなかったぁ~。
仏殿、その向こうが法堂、奥に少しだけ見えるのが大方丈です。
仏殿 (重文) 文化10年(1813)建立。妙心寺の本堂。
正面には「祈祷」と書かれた扁額が掲げられます。
本尊のお釈迦さまを祀ります。
法堂 (はっとう) 明暦2年(1656)の建立。入母屋造、一重裳階付き。
鏡天井には、8年の年月を費やして描かれた狩野探幽法眼守信の筆による雲龍図が見られます。(頂いた写真を撮りました)
昨年夏(2007)のJR東海のポスターになりました。
この雲竜もグルッと廻りながら見上げて歩くと全く違った姿態を見せてくれます。この写真は龍の顔が上向きに見えて「のぼり龍」といわれ、反対側から見ると顔が下向きに見える「下り龍」になります。不思議な見え方です。「八方睨みの龍」といいます。
(相国寺の鳴き龍はこちらです。)
法堂内には黄鐘調(おうじきちょう)といわれる音色の美しい鐘が収蔵されています。698年の作、我国最古の在銘鐘です。ひび割れした為に現在鐘楼にははレプリカが納められています。
妙心寺の境内、諸塔頭はまだ続きます。
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