高桐院 大徳寺・塔頭
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散り紅葉、紅葉の絨毯といえば、ここ「高桐院」を思う方が多くおられると思います。
「高桐院」
江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(三斎)が、父・幽斎の弟・玉甫紹琮(ぎょくほしょうそう)を開祖として慶長6年(1601)に建立された大徳寺の塔頭で、細川氏の菩提寺である。
三斎は茶人としては利休七哲の一人といわれる名手で、当院の書院は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室松向軒は三斎好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名である。境内にある三斎の墓標の石灯籠も利休が三斎に贈ったものと伝えられている。書院の庭は江戸初期の作庭、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。
寺宝では中国南宋時代の画家李唐の山水画二幅が有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と賞賛されている。
境内には三斎とその夫人ガラシャの墓、近世初期の歌舞伎踊りの名手、名古屋山三郎、出雲阿国の墓がある。
書院 意北軒と呼ばれ、千利休の邸宅を移築したといわれる。
本堂の前庭 通称「楓の庭」と呼ばれる簡素ながら趣のある庭で、一面の苔地の中に一基の灯籠が据えられている。
風で落葉も移動するようです。
本堂の中を見てます。
「大徳寺 塔頭」は・・・カテゴリー ◆大徳寺 大仙院など塔頭 を御覧下さい。
「つれづれ編」のはこちらです。新緑の高桐院も綺麗ですよ。
三斎井戸
細川三斎公とそのガラシャ夫人の墓石となっている灯籠です。
この灯籠は初め千利休が「天下一」と名づけ愛用の処、豊臣秀吉がその名声を聞き所望したが断ったもの。利休切腹のおり遺品として三斎に贈ったもの。
裏千家・円能斎好みの茶室「鳳来」の前庭に置かれている折蹲踞(つくばい)
袈裟形のおり蹲踞
加藤清正が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り細川三齋に贈ったもので、地面低くおさめられているので「おりつくばい」と呼ばれる。
三齋は、灯籠と共に愛用し熊本、江戸間の参勤交代にも持ち歩き、88才の時にここに収められました。
手前と向こうの苔が剥げています。・・・人が乗って水の中の写真を撮っていました。ビックリです。一瞬のことでした。(出来心というより予定していた確信犯な感じ)
熱心にあちこち撮影されていた方だけにまさか・・・残念でならない。人が乗った為に苔が剥げてしまった由緒ある蹲踞。。。せめて由来を読んでほしかった。
これだけ苔むすのに何年かかるのだろうか?
この秋、苔を粗末にする人を何人見ただろうか・・・悲しくてならない。
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