祇王寺 紅葉の絨毯
猛暑の夏に続き、いつまでも暑い秋。葉っぱも日焼けしてしまって「今年の紅葉はダメかなあ」と心配していました。一時の冷え込みのお蔭で赤さを増して、「まあまあな紅葉まで回復した」って感じでした。紅葉の最後に「祇王寺」の落葉の絨毯をお届けします。
「祇王寺」 大覚寺 塔頭 真言宗
小倉山麓の竹と楓に囲まれた小さな草庵、小さな入口は樹木の影で暗いです。
「平家物語から祇王、仏御前の物語」は新緑の頃に行った記事に書いています。以下は記事を短くして載せます。「祇王寺の由来」も→こちらの記事でどうぞ。
「平家物語 巻の一」 (以下、いただいた栞から抜粋しました)
平氏全盛の頃、都に白拍子の上手「祇王と祇女」という姉妹がいた。
姉の祇王が清盛の寵愛を得、妹の祇女も有名となり、毎月百石百貫の手当てもあって安穏と暮らしていた。
ある日、仏御前と呼ばれる白拍子が清盛の館にやって来て舞をお目にかけたいと申し出た。「祇王がいるところには叶うまいぞ」と追い返したものの、祇王が「私も同じ白拍子の身」と取り成して、今様を歌わせた。
清盛は仏御前に心を移した。昨日までの祇王への寵愛は何処へやら、清盛は祇王を追放してしまいます。
もとの貧乏暮らしに戻った祇王の家族に代わり、仏御前の家族は栄えます。翌年、清盛は仏御前が退屈しているからと祇王を無理矢理呼び寄せました。
はるか下の座敷に祇王が通されたのを知った仏御前は気の毒でなりません。祇王をこちらへ通し自分には暇を出して下さいと願いますが清盛は聞き入れませんでした。
「かくて都にあるならば 又うき目を見むずらん 今は都を外に出でん」といって祇王(21才) 祇女(19才)母刀自(45才)の3人、髪を剃って尼となり嵯峨野のこの地で仏門に入りました。
母子三人が念仏しているところに竹の編戸をたたく者が。。。清盛の館を抜け出し剃髪して尼の姿でやって来た仏御前(17才)であった。
祇王は「わずか十七にこそなる人の、浄土を願わんと深く思い入り給うこそ」と4人で住むこととし、みな往生の本懐を遂げたのでした。
この門は下から見えた小さな門です。
葉を落とすと空が開けて明るくなるようです。
嵯峨野にはやっぱり竹林。
新緑の頃、白いネコちゃんがノンビリまどろんでいた庵の控えの間。影が虹色に表れるので「虹の窓」といわれる吉野窓も人でいっぱいなので今日はこれだけです。
晩秋のわびしさが似合うところですね。
やっと紅葉が終わってホッとしたら大晦日が目前。なんと一年の早いことでしょうか。
皆様、どのような年末をお過ごしでしょうか?
正月準備は主婦の主婦たる腕の見せ所でしょうがぁ・・・まだウダウダしてます。今日あたりから「エイッ」と重い腰を上げねば(遅すぎ!)。
以前と比べたらおせち作りも簡単にしています。錦市場、高島屋、大丸などの買い物が大活躍・・・かなり手抜きです。
年末年始のブログ用には公開してない寺院がまだあります。記事には事欠きませんのですよ。新年からはしばらく、撮りだめした写真や気に入った庭園などを集めた「庭園めぐり」「○○めぐり」とかも久しぶりに楽しんでみようと思います。
◆「ブログ・ランキング」に参加しています。↓↓両方クリックしていただけたら嬉しいです。是非応援して下さいね↓
----------------------------------------------------------------
ブログランキング 参加中。毎日の励みになりますのでクリックしてね
是非よろしく→ こちらも →
----------------------------------------------------------------
もういちど苔の上の落葉です。緑の苔が印象的です。
最近のコメント