京都五山 万寿寺
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植物園の梅をちょっとお休みして・・・
昨日は用事で出かけていたので、写真がちょっぴりの処にしました。
「京都五山 第五位 万寿寺」・・・”萬寿禅寺”
・・・「検索」で1週間に1度くらいはこのブログを、どなたかが訪ねてくださいます。
Wikipediaや発掘記事を載せたりして・・・訪ねて下さった方にガッカリ感を持たれない様にと工夫をしています。
※※ 「万寿寺」の説明及び発掘に付いては以前の→◆この記事を御覧下さい。
ここは拝観が出来ないので、写真はこの正面しか撮ってなかったのですが・・・
・・・「ちょっとだけおじゃまします」
鐘楼(重文)-室町時代の建築。境内入口にある。
上層に鐘を吊り、下層は門を兼ねている。元は三聖寺の建物で、現在は東福寺の所有となっており、重要文化財としての指定名称は「東福寺鐘楼」である。
今日は「京都五山」の説明・・・Wikipedia丸写しです。
「京都五山(きょうとござん)」とは五山の制のうち京都の禅宗(臨済宗)の寺格、官寺制度です。
鎌倉時代末期頃から北条氏は南宋にならい五山制度を導入し鎌倉の寺院を中心とする五山を選定した。
京都の寺院では建仁寺が当初の五山に含まれていたとされている。鎌倉時代後期に後醍醐天皇は討幕運動を起し、幕府滅亡後に後醍醐による建武の新政が開始されると五山も南禅寺と大徳寺を筆頭とする京都本位に改められた。
足利尊氏が建武政権から離れて南北朝時代となると、尊氏や弟の足利直義などは禅宗を信仰したため・・・
五山も足利将軍家が帰依していた夢窓疎石が中心となって京都の寺院から新たに制定された。
数回の選定変更があったが・・・
室町時代の至徳3年(1386)には足利義満が相国寺を創建した後に五山を京都五山と鎌倉五山に分割し、両五山の上に別格として南禅寺を置くという改革が行われた。
僧録司制なども定めて住職の任命権などを掌握し、寺社の統制を行い幕府権威に宗教的側面を付加させた。
春屋妙葩や義堂周信らの五山僧は中国文化に通じ、また義満が日明貿易(勘合貿易)を行う際には外交顧問的役割も果たした。
京都五山
南禅寺 - 別格
天龍寺 - 第一位 ※
相国寺 - 第二位 ※
建仁寺 - 第三位
東福寺 - 第四位
万寿寺 - 第五位
※…なお、足利義満の意向により、応永8年3月5日に相国寺を第一位、天龍寺を第二位とする順位変更が行われたが、義満没後の応永17年2月28日に元に戻された。
今日では京都五山=京都の禅寺の格付と一般に勘違いされやすいが、それは決して正しい解釈ではない。
京都五山はあくまで足利氏の政治、政略的な格付けであり、大徳寺は同様の理由から格を下げられ、後に五山制度から脱却している(詳しくは大徳寺の項目を参照)。
また、妙心寺は大内義弘に肩入れしたことが原因で義満の怒りを買い、寺領すらも没収されていた。再興を果たすのは江戸時代からである。
一般公開していないのでこれだけですが、
「万寿寺」(萬寿禅寺)としてお役に立ちましたでしょうか。
また寒さが戻ってきました。暖かさを覚えてしまって・・・こたえますねえ。
◆ いつも応援して下さってる皆様有り難うございます。
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是非よろしく→ こちらも是非 →
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◆今日は雛祭り・・・下鴨神社では「流し雛」
毎年益々観光客増えて押し寄せますので、今日は遠慮しておきます。以前の「流し雛」は★下鴨神社の四季でお楽しみ下さいね。
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