桜と菜の花 山科疏水と毘沙門堂
「山科と醍醐」、桜見物を一度に済まそうと出かければ・・・醍醐・三宝院の枝垂桜が満開なのに、こちらはまだもうちょっと・・・うまい具合にはいきません。
琵琶湖から引かれた琵琶湖疏水はここを通って南禅寺の横、そして昨日紹介した岡崎の疏水、哲学の道などへと続いています。(これで間違ってないですよね)
菜の花は地元の方々が大切に育てておられます。
ソメイヨシノは・・・3分咲きくらい・・・毘沙門堂も望み薄かなあ。
ここからは毘沙門堂門跡です。説明もそちらで見てくださいね。 毘沙門堂
新緑の頃に行っております。→こちら。 有名な動く襖絵はこちらです。
毘沙門堂 護法山出雲寺と号する天台宗の門跡寺院 (以下駒札より)
大宝3年(703)創建と伝え、延暦年間(782~805)伝教大師が下出雲路で自ら作った毘沙門天を安置して下出雲路寺と名づけ、天台宗をひろめたので、世人はこれを毘沙門堂と呼んだ。
中世以降、たびかさなる戦乱で荒廃し、天正年間(1573~91)に織田信長の兵乱で堂宇を全焼した。
慶長16年(1611)に天海僧正が後陽成天皇の勅命によって再興をはかり、中途で天海が亡くなったため、その高弟公海が遺志を継いで寛文5年(1665)に再建され、以来、代々法親王が入室されて「毘沙門堂門跡」と称された。
本堂には伝教大師作の毘沙門天を本尊としてまつっている。山科区安朱稲荷山町
毘沙門天 (びしゃもんてん) (Wikipediaより抜粋)
持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神である。
日本で は四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。持物は宝塔が一般的。また、邪鬼と呼ばれる鬼形の者の上に乗ることが多い。
また、密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされる。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事に利益ありとして崇められる。
満開に近いのもあってホッ。
お目当ての「毘沙門しだれ」・・・「そうだ京都、行こう」でポスターになった枝垂桜。
こちらの枝垂桜は・・・まだ蕾でした。(凄くガッカリ)
ここからは・・・
「満開の時に行きたいなあ」と思いながらも、「もう来年で良いじゃない」と、ぐずぐずしてたのですが、あまりにも良い天気なので浮かれて出かけた4月14日。
・・・あ~あヤッパリ遅かった。
樹齢百数十年。枝張り約30m。「左近の桜」で350年。これは五代目です。
弁財天です。お堂の中も撮影自由そうなので。。。賑やかですね。
一本だけ満開の紅枝垂桜がありました。一切経蔵の前です。
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