西賀茂 西方寺と大将軍神社
←新しく来て下さった方は 目次 もご覧ください。 ※写真は全て拡大します。
今日は西賀茂にある「西方寺」と「大将軍神社」の紹介です。「正伝寺」向かう途中に見つけたもので、訪れたのは2年前です。今日の写真はその頃に仕上げたものです。
「西方寺」・・・五山送り火の「船形」は、この西方寺で鳴らす鐘を合図に点火されます。
「大将軍神社」・・・陰陽道において方位の吉凶を司るのが「大将軍」(方位神)で、八将神のひとつ。 場所はここです。西方寺と大将軍神社の中間を中心にしています。近くに神光院、山手に正伝寺があります。それぞれ既に記事にしています。正伝寺には何度も行っています。◆カテゴリーは10 鷹峯 きぬかけの道 西陣 上賀茂 他です。
16日は五山の送り火ですね。
「船形」は、この西方寺で鳴らす鐘を合図に午後8時15分に点火されます。TOPの写真は西方寺の前を山の方に上がった所から、お寺の白い塀が見えます。
大船院西方寺 (だいせんいん さいほうじ) ※説明は京都市駒札より
来迎山と号する浄土宗の寺である。
承和年間(834~848)に円仁(慈覚大師)が創建したと伝え、もとは天台宗山門派に属していたが、正和年間(1312~16)に道空上人が中興して浄土宗に改められ、以後、六斎念仏の寺として知られている。
五山送り火の終了後、境内で六斎念仏が行われる。当寺の六斎念仏は、鉦や太鼓を使って念仏を唱える極めて古風なもので、六斎念仏の古態を今に伝えるものとして知られています。
◆去年の送り火の記事はこちらです。アニメーションにもしています。是非見てください。
◆当日お昼に大文字山に登った記事はこちらです。クラクラしました是非見てください。
境内には、皇室制度や神道史の研究家として知られるイギリス人リチャード・ポンソンビーの碑が建てられている。
また、背後の小谷墓地には、幕末の歌人太田垣蓮月尼や上賀茂神社の祠官賀茂(かもの)季鷹(すえたか)、また著名な料理人で陶芸家でもある、北大路魯山人の墓がある。北区西賀茂鎮守庵
*----------* つづいて、「大将軍神社」です。説明はWikipediaより。
大将軍は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)のひとつ。
古代中国では明けの明星を啓明、宵の明星を長庚または太白(たいはく)と呼び、軍事を司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神(こんじん)・大将軍となった。いずれも金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。
「西賀茂大将軍神社」です。
桓武天皇は平安京遷都の直後に、大将軍を祭神とする4つの大将軍神社を四方に置きました。東: 左京区岡崎。西: 上京区紙屋川。北: 北区大徳寺門前。南: 所在不明 。
◆ただし、現在の所在は以下のとおり。
東: 東山区の東三条大将軍神社。
西: 上京区の大将軍八神社。
北: 北区の今宮神社摂社疫神社と、西賀茂大将軍神社。
南: 伏見区の藤森神社境内。
またこれらとは別に、祇園社(八坂神社)も大将軍を祭っている。
「東: 東三条大将軍神社」、「西: 大将軍八神社」、「南: 藤森神社境内」、「北: 今宮神社摂社疫神社」も既に行って撮っていますが、記事にしそびれています。
地元に親しまれた神社なのですね。
相当古いです。本殿などはこのように保護されていました。
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近くにある「日照山 法雲寺」 子育て地蔵尊が高く見えます。
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