ロケ地巡り 興聖寺と龍谷大学大宮学舎
過去の全記事 2006年1月27日から毎日更新しています。
昨日に続いて、西本願寺の南にある興正寺と龍谷大学大宮キャンパスのロケ地を巡ります。「興正寺」は順徳天皇(1210-1221)の勅願によって、「興隆正法寺」と名づけられた名刹です。江戸時代には西本願寺の有力末寺となり、
明治9年(1876)第27世本寂上人(1808-77)の時に本願寺から一派本山として独立しました。 TOPは興正寺の「三門」で、写真の季節は梅が咲く2月中旬です。
三門の隣の「阿弥陀堂門」では『吉宗評判記 暴れん坊将軍 天下御免の盗ッ人修行』(1980、尾張屋敷)、『吉宗評判記 暴れん坊将軍 竹姫様 涙のお輿入れ(1980、尾張屋敷)、『吉宗評判記 暴れん坊将軍 知るや南のうらみ節』(1980、薩摩藩邸)。
『吉宗評判記 暴れん坊将軍 かりそめに咲く夜の花』(1981、尾張藩上屋敷)では堀と石橋も使われ、藩邸を探るお庭番が橋下に潜みます。ただし当時は涸堀で、雨のあとの水溜りを堀の水に見せていたそうです。
この記事は「時代劇の風景」というサイトの時代劇ロケ地資料というページを参考にしています。『大岡越前6 辻斬り三葉葵』(1982、辰の口付近)では阿弥陀堂が登場します。下の「阿弥陀堂」は大正4年(1915)に再建された興正寺の本堂です。
以下の作品では、境内や幾つかの建物が登場しています。『長七郎江戸日記 母子武士道』(1985、藩邸イメージ)、『長七郎江戸日記 名君会津に入る』(1986、会津藩上屋敷) 江戸時代後期の嘉永元年(1848)建立の「経蔵」
『江戸を斬る VII 鬼が狙った唐人形』(1987、勘定奉行邸イメージ?)、『徳川武芸帳 柳生三代の剣 大坂城悲涙の炎上』(1993、江戸城) 西本願寺と同様に、阿弥陀堂と御影堂が並ぶ両堂形式です。
『徳川武芸帳 柳生三代の剣 宇都宮釣天井の陰謀』(1993、江戸城)、『忠臣蔵 元禄最大の事件』(1996、呉服橋吉良邸) 阿弥陀堂と御影堂は渡り廊下でつながっています。
以下の2作品では御影堂が登場します。『戦国乱世の暴れん坊斎藤道三』(1991、濃尾・富田ノ庄正徳寺)、『金さんVS女ねずみ 大奥 妖しい京人形』(1998、築地本願寺) 「御影堂」は明治45年(1912)の宗祖(親鸞)650回大遠忌を期して建造されました。
興正寺は三門の脇にある紅白の梅が見どころの一つです。ここから昨日の記事の北小路通を通って、西本願寺の大玄関門の前の猪熊通に向かいます。
猪熊通に面して西側に「龍谷大学大宮学舎 正門」(重文)があります。大宮学舎(キャンパス)は龍谷大学発祥の地で、明治12年(1879)竣工の本館をはじめ正門、旧守衛所、北黌、南黌、渡り廊下が国の重要文化財に指定されています。
このキャンパスはレトロな洋風建物が並んでいるので、文明開化を象徴する東京や横浜の町や、異人館として登場します。「本館」は大宮学舎のシンボル的建物です。
『悪坊主侠客伝』(1964、名古屋警察署)、『田原坂 英雄野に下る』(1987、参議院門)、『必殺スペシャル・新春 大暴れ仕事人!横浜異人屋敷の決闘』(1990、横浜・モリソン館) 「北黌」(重文) 黌(こう)はまなびや/学校の意味だそうです。
『必殺スペシャル・春 世にも不思議な大仕事 主水と秀香港マカオで… 』(1991、マカオ総督府)、『福沢諭吉』(1991、慶応義塾)、『御家人斬九郎5 最後の死闘』(2002、開化後の東京) 「西黌」
『天切り松 闇がたり』(2004、東京・歩兵第一連隊兵営』、『遺恨あり 明治十三年最後の仇討ち』(2011、東京上等裁判所)、『るろうに剣心』(2012、東京・陸軍省) 「南黌」(重文)
『必殺仕事人2013』(2013、廻船問屋邸宅?)、『柘榴坂の仇討』(2014、司法省?)、『チャンバラが消えた日』(2015、CIE本部) 「旧守衛所」(重文)
『いだてん シリーズ共通』(2019/1~、東京高等師範) 夕方になると建物に灯りが点いて美しい情景が見られます。下は南黌から見た北黌、最後の写真は南黌。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
龍谷大学は立派な大学ですね。
ポチ♪2
投稿: ゆーしょー | 2026年9月 7日 (月) 00:17