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2026年8月25日 (火)

日本映画の黎明期を巡る 木屋町と真如堂

目次  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

京都には映画にまつわる発祥の地がいくつかあります。現在のようにスクリーンに投影する映画(シネマトグラフ)の上映は1897年1月に稲畑勝太郎によって京都電燈株式会社の本社(その後の立誠小学校の敷地)の中庭で行われました。

今日の記事は京都市メディア支援センターの「京都の映画文化と歴史」を参考にしています。また途中に出てくる映画のシーンは同ページからの転載です。

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屋外で上映されたのは、光源のランプの熱による火事の危険があったからです。したがって、日本初の屋外上映でもありました。下は旧・立誠小学校で、2020年7月21日に「THE GATE HOTEL 京都高瀬川 by HULIC」が開業しました。

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新ホテルは上の校舎1棟を外観を保存してリニューアル、西(奥)に1棟を新築した全184室です。敷地はヒューリックが京都市から定期借地、上の棟の右に自治会スペース、奥の棟に立誠図書館が入っています。

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上は高瀬川を開いた角倉了以の顕彰碑、その横に「日本映画発祥の地」の駒札がありました。新ホテルの完成図には角倉了以の顕彰碑が描かれていますが、駒札は現在どうなっているのか不明です。

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稲畑勝太郎(後の大阪商工会議所会頭)は万国博覧会の視察と商用でパリを訪れ、留学時代の学友リュミエール兄弟が2年前にシネマトグラフを発明したことを知り、その機材と興行権を購入して帰国しました。下は旧校庭の立誠ガーデン。

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試写実験に当っては、島津製作所が変圧器を製作したと伝えられています。下は木屋町通の北端にある「島津創業記念資料館」、創業100年を記念して1975年に創業の地に開設されました。

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その後、浅野四郎によっていくつかの短編映画が撮られ、1898年日本で初めて歌舞伎座(東京)などで上映されました。しかし、歌舞伎界などからは「泥芝居」と蔑まれ、原作や役者の提供などを拒まれた時代でした。

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後に、風情のある高瀬川や木屋町は映画やTVのロケ地として使われています。例えば『古都憂愁 姉いもうと』(1967年/大映/三隅研次監督/藤村志保・八千草薫出演)、下は『制覇』(1982年/東映/中島貞夫監督/三船敏郎・岡田茉莉子出演)。

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上のシーンは現在の「がんこ高瀬川二条苑」にある高瀬川源流庭園です。建物と庭園は明治の総理大臣・山縣有朋(1838-1922)の別邸で、そのあと実業家の川田小一郎や阿部市太郎の所有となった頃の撮影だと思われます。

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ところで、立誠小学校が閉校となってから映画発祥の地として、旧校舎でいくつかの劇場と提携して 「立誠シネマプロジェクト」が行われてきました。最後の上映は2017年6月のこうの史代さん漫画作品『この世界の片隅に』です。

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同年、出町枡形商店街で「出町座」として再出発。映画の上映、舞台挨拶、出版記念会やトークイベントなどの企画が行われています。俳優・脚本家・プロデューサーなどを養成する「シネマカレッジ」、ギャラリー、カフェ、書店を併設しています。

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明治41年(1908)牧野省三は横田商会の横田永之助の依頼により、日本で最初の本格的劇映画『本能寺合戦』を製作しました。本作品を撮り上げた牧野省三は日本最初の映画監督として名を残しています。(真如堂の総門、TOPの写真も)

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牧野は千本通一条上るに浄瑠璃小屋を所有し、狂言方としても活動していました。作品の原作に用いられる浄瑠璃を空で暗記していたことから、脚本を用いることなく、撮影にあたったといわれます。

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撮影を依頼した横田商会は京都の映画会社で、後に日活の前身の一つとなりました。下は真如堂の本堂で、その左前に「京都映画誕生」の碑があります。

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真如堂の境内を本能寺と見立てて、本堂で戦闘シーン、総門付近で森蘭丸の奮闘場面が撮影されました。織田信長は、牧野がオーナーを務める芝居小屋・千本座の座長・中村福之助、森蘭丸は座員の嵐璃徳(りとく)が扮しました。

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フィルムは現存せず下は映画のポスターで、本堂が描かれています。平成20年(2008)、有志及び京都市の手により、シネマトグラフをモチーフにした上の記念碑が設立され、「京都・映画100年宣言」の碑文が刻まれました。

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下は本堂横にある京都市指定巨樹名木のカエデ科のハナノキ、映画にも写っていたはずです。その後、牧野省三と手を組んだ横田永之助は、京都では初めての撮影所を開設して多くの時代劇を制作しますが、その舞台は次回の予定です。

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投稿: ゆーしょー | 2026年8月26日 (水) 04:17

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