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2026年8月13日 (木)

夕暮れの八坂神社からねねの道へ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、南楼門から八坂神社の境内をぬけて、高台寺があるねねの道に向かいました。「南楼門」(重文)は八坂神社の正門で銅板葺きの2階建て、明治時代前期の再建です。

既に終了しましたが、八坂神社では8月7日に七夕祭が行われます。境内に大笹を立て、参拝者が短冊に願い事を込めて掛け、氏子児童図画展等があります。

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8月15日には10:00から月次祭が行われます。国の平安と、氏子崇敬者の安泰を祈ります。この日にお参りするとご利益があるともいわれています。八坂神社では常時LEDの提灯が点灯していて、24時間境内を開放して参拝が可能です。

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「祇園社青龍石柱」、昨年「令和の祇園感神社復元事業支援者一同」により奉納され、本殿下の龍穴に湧く神水と祇園祭発祥の地の神泉苑の閼伽水から生まれた青龍神水によるミストが出ています。

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「祇園祭山鉾館」 昭和43年(1968)建造され祇園祭の山鉾34基のうち、10基の山が収蔵されています。昨年外壁と屋根その他の改修工事が行われました。公益財団法人祇園祭山鉾連合会の建物です。

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ところで、先ほどの青龍石柱の横に「忠盛灯篭」があります。平安時代、白川上皇が祇園女御のもとに通う途中で見たという「口から火を吐く化物」の退治を平忠盛に命じました。忠盛はまずは化物の正体を見定めてからと慎重に事を運びます。

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化物を生捕りにすると、正体は灯篭に火を灯す僧侶と判明しました。人々は忠盛の勇敢で思慮深い対応に感嘆し、上皇は孕んでいた祇園女御を忠盛に与え、生まれたのが平清盛だといいます。八坂神社の七不思議の一つです。

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「長楽館」 明治の煙草王・村井吉兵衛の別邸跡で、現在はラグジュアリーホテル、レストラン・カフェになっています。円山公園の出口にあり、ここから南が「ねねの道」です。

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「長楽寺参道」 突き当りに長楽寺と大谷祖廟があります。右手に沿道にある様々なお店や宿の看板があり、右端は「ねねの道」の石標です。

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ここには「京都祇園堂」がありましたが更地になっています。祇園女御は、白川上皇の死後阿弥陀堂を建て菩提を弔いました。その屋敷後に建てられた寺院で、女御が信仰した阿弥陀如来を安置、「祇園女御供養塚」が建っていました。

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「大雲院」 安土桃山時代の天正15年(1587)正親町天皇の勅命により、織田信長、信忠父子の菩提を弔うために貞安(じょうあん)上人が開山した浄土宗の寺です。通常非公開です。

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左から「高台寺北門前通」が合流します。右は「レンタルきもの岡本 祇園高台寺店」は天保元年(1830)「岡本織物店」として創業、観光でのレンタル着物の発祥店です。店内に「芭蕉庵」、道の先には西行庵、雙林寺、料亭・菊乃井などがあります。

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ねねの道はここで一旦西に曲がります。右が大雲院で左の家の間を菊渓(きくたに)川が流れ、しばらくして暗渠となり下河原町で清水寺から流れてきた轟川と合流します。

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大雲院では「祇園閣 特別公開」が7月10日(金)~9月30日(水)、10:00~16:30(16:00受付終了)の期間行われます。左上に少し見えています。

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「京料理 花咲 萬治郎」 お昼には、生湯葉や生麩など京都美味を凝縮させたお手頃な「麸麺点心」やミニ会席「ねね御膳」があります。築120年の店内は落ち着いた雰囲気で、昼・夜の懐石料理は坪庭がある個室で頂くことができます。

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「元奈古(もとなご)」 旅館の名は万葉集の中からとった言葉で、古い都、あるいは高貴な人々が集い憩う社交場の名称だったといわれています。夜は会席料理、朝は湯豆腐を頂けます。ここで右の高台寺北門前通と分かれます。

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左に見える塔が「祇園閣」で、昭和3年(1928)に大倉喜八郎の別邸に建立され、昭和48年に別邸跡に移転してきた大雲院の所有となりました。金閣、銀閣に次ぐ「銅閣」とも呼ばれ、この辺りのランドマークになっています。

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脇道の奥に丸窓が見えるのは高台寺塔頭の「岡林院」、江戸時代初め(1608年)北政所の従弟・久林元昌が創建しました。現存する高台寺の塔頭としては最も古いとされます。

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高台寺塔頭「月真院」 江戸時代初め元和5年(1619)津和野藩二代藩主亀井茲政の寄進によって、上の岡林院と同様に久林玄昌が建立しました。

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この門の中には豊臣秀吉が出世の守り本尊とした「三面大黒天」があり、高台寺の「掌美術館」の入口、高台寺塔頭「圓徳院」の出口でもあります。また、京ゆば料理の「高台寺羽柴」や茶店・土産物店もあります。

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「京・洛市 ねね」 圓徳院境内にあり雑貨や土産物店、喫茶店、ギャラリーなどがあります。あられこぼしの道を通って石塀小路にある「夢珈琲」にも行けます。

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高台寺塔頭「圓徳院」、慶長3年(1598)豊臣秀吉が没すると、ねねは「高台院」の号を勅賜され、慶長10年(1605)秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を、この地に移築して移り住みました。

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これが圓徳院の前身で、ねねは77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送りました。 このあと高台寺の東山観月路に向かいました。既に記事にしましたが、7月11日(土)~8月23日(日)の期間、台所坂や竹林のライトアップがあります。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
八坂神社へは数回行きましたが
南楼門をくぐったのは1回だけです。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2026年8月14日 (金) 00:06

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