清浄華院 皇室ゆかりの浄土宗大本山
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昨日の記事の途中で清浄華院(せいじょうけいん)に立ち寄りました。「清浄華院」は浄華院ともいい、浄土宗四大本山の一つ、法然上人二十五霊場の札所です。TOPの写真は寺町通に面する「総門」(高麗門)で、天明の大火以降に再建されました。
下は勅使門で、寺伝によれば称光天皇が阿弥陀堂を再建した際に寄進されたのが始まりです。現在の門は昭和9年(1934)に再建され、唐門様式をとり、扉には菊の紋が入っています。住職ですら晋山式の時にしかくぐることができないそうです。
清浄華院は、平安時代前期の貞観2年(860)清和天皇の勅願により慈覚大師円仁が創建した禁裏内道場が始まりとされます。当初は延暦寺と同様に天台4宗兼学の道場でした。(総門をくぐると、境内が見渡せます。)
「不動堂」 むかし西山浄土宗の祖・証空が師の臨終の際に身代りになろうとしたところ、信仰する不動明王が証空の身代りになって師を救ったという逸話があります。江戸時代には身代り厄除けのご利益で知られる「身代り不動」の信仰が盛んになりました。
「地蔵堂」 江戸時代には境内南西角に地蔵院という塔頭があり、その地蔵菩薩は「染殿地蔵」の名で子授け・安産・子育ての信仰を集めていました。堂内には閻魔王坐像や石薬師も祀られています。平成23年に総門南脇殿を地蔵堂として再建されました。
右の建物は佛教大学別科「浄山学寮」(宗門後継者養成道場) です。清浄華院の諸堂も学生らの法務実習に使われ、境内にはいつも彼らの念仏の声が響いています。門前に「松林院旧跡」の石柱があります。
平安時代末(1175年)浄土宗に傾き比叡山を下りた法然は当院を宿舎とし、後に後白河・高倉・後鳥羽の3天皇から帰依を得て、この道場を賜り浄土宗寺院に改めたとされます。「華水 手水堂」 法然上人八百年大遠忌を記念して再建されたそうです。
清浄華院は室町時代に皇室や公家・幕府の帰依を得て浄土宗の筆頭寺院となり、現在も浄土宗大本山の一つとなっています。「梵鐘」は江戸時代初めの慶長15年(1610)に造られました。現在は朝夕に浄山学寮の学生たちによって撞かれています。
「蜂須賀桜」 阿波徳島藩の蜂須賀家の居城、徳島城ゆかりの桜で、NPO法人「蜂須賀桜と武家屋敷の会」が徳島藩ゆかりの社寺として平成23年に植樹したものです。清浄華院には徳島藩7代藩主・蜂須賀宗英の墓がある縁です。
島津藩が建立した「智満姫供養塔」。智満姫(お千万の方・春光院)は公家の堤公長の娘で、薩摩藩主・島津重豪の側室となり、後に藩主となる島津斉宣をもうけます。斉宣7男の島津忠剛の娘が天璋院篤姫なので、智満姫は篤姫の曾祖母に当たります。
晩年に仏教に帰依した藤原道長が建立した法成寺の遺物が展示されています。2022年清浄華院の南の工事現場から、金剛界大日如来が彫刻された石仏、焼かれて赤茶色になった石造物、柱座が設けられた大型礎石が出土しました。
「阿弥陀堂」 塔頭・松林院の本堂を改築して阿弥陀如来坐像を祀ります。松林院は後伏見天皇の皇孫の敬法上人が創建、江戸時代は勅願所として別院の扱いを受け、皇族や公家に多くの檀家がありました。平成15年に清浄華院に統合され廃絶しました。
幕末には松林院に 京都守護職を務めた松平容保が1月逗留し、近藤勇らが訪れました。建物は宮内省より下賜された二条城饗応所の部材を使っています。現在、佛教大学の浄山学寮の教室としても使われているそうです。
「小方丈」 生活空間で、団体詰め所、応接間、浴場、職員宿舎なども連結しています。座敷からは小埜雅章氏作庭の「浄土の庭」とも呼ばれる「光明徧照の庭」を臨むことができます。中庭には茶室・「清華亭」もあります。
「大方丈」 阿弥陀堂の元本尊だった阿弥陀三尊像を安置しています。中尊の阿弥陀如来は平安時代後期の恵心僧都源信の作と伝えられます。両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩像は、「大和座り」と呼ばれる珍しい座り方をしています。
寺務所の「是心堂」 2階の仏間には勢至菩薩坐像、第5世向阿是心上人とその師匠の礼阿上人像、金比羅・秋葉権現像などを安置しています。向阿上人は浄土宗の教義を「三部仮名抄」などの著作にまとめ、その発展に貢献しました。
「大殿」 法然上人像を祀り、御影堂とも呼ばれ、清浄華院の本堂にあたる建物です。後白河法皇より当院を賜った法然上人の42歳の姿を自ら刻んだと伝えられ、壮年期の像は珍しいそうです。
「法然上人骨塔」 平成30年(2018)境内参道石畳の改修工事に伴いこの五輪塔を解体すると、中より「浄華院開山元祖法然源空上人御骨」と記された2枚の木札と共に、木箱に納められた人骨や焼き物の仏像、銅製容器などが発見されました。
「天明大火供養塔」 天明8年(1788)1月30日 宮川町で発生した火事は強風に煽られて鴨川を渡り、京都市街の大半を焼き尽くしました。二条城や御所も類焼、清浄華院も伽藍のほとんどが焼失。供養搭は2か月後の大法要の際に建立されました。
「立入宗継旌忠碑」 立入宗継は戦国時代から安土桃山時代にかけての商人で、禁裏御所の財政を担う禁裏御蔵職も務め、朝廷の権威復興に尽力しました。正親町天皇の使いとして織田信長の上洛を促したことでも知られ、時代祭にも登場します。
大殿の横の「山王権現社」 山王権現は坂本の日吉大社に祀られる神で、延暦寺や天台宗の守護神として祀られます。この山王権現は円仁が禁裏内道場の守護神として勧請したものだそうです。
浄土宗は、21世紀を迎えすべての人びとの幸せを願って「浄土宗21世紀劈頭宣言」を発表しました。「愚者の自覚を 家庭にみ仏の光を 社会に慈しみを 世界に共生を」として、法然上人の心を家庭に、社会に、世界に広げていくことを誓っています。
左には三つの塔頭、右の墓地には、東山天皇母・敬法門院、桃園天皇母・開明門院をはじめ、江戸時代の歴代天皇の皇子・皇女の墓があり宮内庁の管轄です。室町時代以降に帰依した公家や、御所に出入りした役人・商人などの墓も多数あります。
「東門」は江戸前期の建立で清浄華院最古の建造物です。励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。
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コメント
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投稿: ゆーしょー | 2026年8月25日 (火) 00:45