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2026年7月19日 (日)

浄住寺 洛西の黄檗宗古刹

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※写真は全てクリックで拡大します。

松尾大社から始まった洛西の寺社めぐりで最後に訪れたのは浄住寺です。「浄住寺(じょうじゅうじ)」は、山号を葉室山という黄檗宗の寺院で、京都洛西観音霊場第三十番札所です。参道の両側は竹藪で、散策路が整備されています。「四方竹(しほうちく)」

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平安時代前期の弘仁年間(810-824)に、嵯峨天皇の勅願により慈覚大師・円仁が開創したとされ、当初は常住寺と称したそうです。円仁は、浄住寺を建立した後も遣唐使として唐に渡りました。

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その後比叡山で横川中堂を建立して、第3世・天台座主に就き(854)、東塔に天台密教の根本道場・総持院を建立しました。こちらは「亀甲竹」。

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その後、浄住寺は荒廃して葉室家の別荘となります。葉室家は、平安時代後期に権中納言・藤原顕隆(1072-1129)によって創始された公家です。顕隆は白河法皇の近臣で、葉室中納言、「夜の関白」とも称された人物です。

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上の「本堂」(禅堂)の扁額「祝國」は後述の鉄牛の筆だそうです。本堂は旧開山堂で本尊「釈迦牟尼仏坐像」が祀られています。

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左の脇壇には、左から「達磨大師」、「当山古伽藍本尊」、「出山(しゅっさん)の釈迦」が祀られています。釈迦は出家後山に入り六年間苦行をしましたが、苦行では悟りを開けないことに気づき山を降りたといいます。

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その時の痩せこけた姿を表すのが出山釈迦像で禅宗では重要視されているそうです。右の脇壇には、左から鎌倉時代作「阿弥陀如来立像」、鉄牛が持ち帰った天竺仏「如意輪観音像」、「葉室頼孝像」が祀られています。

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鎌倉時代の弘長年間(1261-1263)には、中納言・葉室定嗣が出家して定然(じょうねん)と称し、西大寺の真言律宗の僧・叡尊(えいそん)を招いて浄住寺を中興しました。「本堂と方丈を繋ぐ廻廊」

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文永9年(1272)に定嗣は死去しましたが、浄住寺は葉室家の菩提寺として盛え、一時は多くの堂宇が建ち並んだといいます。永仁6年(1298)には将軍家の祈願所になり、この時期塔頭が49院もあったそうです。

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鎌倉時代末に後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府討幕の「元弘の乱」(1331-1333)が起こります。後醍醐天皇の命を受けた千種忠顕がこの付近に陣を張り、六波羅探題を攻めるも敗退して、浄住寺は焼失、その後荒廃しました。

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上の右に見えるのは方丈で、仙台藩4代藩主・伊達綱村が幼少期を過ごした屋敷を移築。有名な「伊達騒動」で幼い綱村が命を狙われることもあったためか武者隠しがあり、脱出できる仕掛けが残っています。池庭は江戸時代の作庭。

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江戸時代の元禄2年(1689)葉室孝重が禅師・鉄牛道機を招いて黄檗宗の寺として再興しました。鉄牛は浄住寺の中興の祖といわれます。(玄関には「葉室山」の大きな扁額が掲げられています。)

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鉄牛道機(1628-1700)は大坂・大仙寺、妙心寺、長崎・崇福寺などで修業し、各地で黄檗寺院を建立、萬福寺の創建にも尽力しました。(庫裏の前から、少し下に降りると平成22年(2010)に建立された鉄牛の三百九回忌の石碑があります。

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また、伊達綱村、島津綱貴、池田綱清、稲葉正通、福島正則らの大名の寄進により寺地を購入して堂宇を建立しました。当時の本堂、開山堂が現存しています。(本堂と翼廊、本堂の左に行きます。)

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安永4年(1775)には方丈と庫裏を焼失しますが、その後再建されました。昭和53年(1978)には、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興されました。 (下のお堂です。)

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札所本尊の観世音菩薩が祀られています。数年前は修復中でしたが、それも終り美しい姿で祀られていました。左の石仏は大日如来、右は薬師如来です。

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本堂の左横に二つのお堂があります。こちらは「八幡大明神」。中は見えませんが、中央に「八幡大菩薩」、手前に「若宮八幡大菩薩」、右に「天照皇大神」、左に「春日大明神」が祀られているそうです。

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小さな池に中の島があり、弁財天が祀られています。以前はお堂の中を覗けましたが、橋が老朽化して近づけません。

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日本に煎茶の文化を持ち込んだのは黄檗禅で、叡尊は宇治茶を振興、瑞芳菴流煎茶道の第三世・大田和博仙家元が修業したこともあり、浄住寺はお茶と深い関係にあります。 ( お堂に絵馬がかけられていました。)

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以前は非公開の寺院でしたが、2015年から様々なイベントを行いメディアにも紹介されるようになり、注目されつつあります。今年の4月25日〜5月6日には本堂・方丈・庭園の「春の特別公開」が行われました。下は期間中の抹茶一服セット。

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特別拝観では寿塔修復記念 西陣織御朱印帳の授与や寺宝の鑑真和上が唐より持参したと伝わる受持鉢などが公開されました。昨年は秋の特別公開が行われ、今年も開催されると思います。上と下の写真は浄住寺のHPからの転載です。

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