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2026年7月 2日 (木)

松尾大社 その歴史と大袚式

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日、松尾大社に行ってきました。ちょうど大袚式(夏越大祓)が行われていて、境内の風景を見ながら、神社の創建とこの地方の発展の歴史を振り返ります。

松尾大社の祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)は、神社の創建以前からこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝えられています。

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「二の鳥居」 柱どうしを注連縄(しめなわ)で結び、榊の小枝を束ねたものが垂れ下っています。これは、脇勧請(わきかんじょう)とよばれ、鳥居の原始的な形式を示すものだそうです。参道には茅の輪がありました。

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5世紀の頃、朝廷の招きによって渡来人の秦氏の大集団がこの地方に移住してきました。その首長は松尾山の神を一族の総氏神として仰ぎつつ、この地方の開拓に従事して新しい文化をもたらしました。

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秦氏は保津峡を開削し、桂川に堤防を築き、今の「渡月橋」の少し上流には大きな堰を設けました。(狛犬の後ろに、松尾祭の舟渡御に使われる駕輿丁船(かよちょうぶね) が見えます。)

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桂川下流の所々にも水を堰き止めて水路を引き、両岸の荒野を農耕地へと開墾していきました。「楼門」は江戸時代初期の建立、両側に随神が配置されています。

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大堰は大井川の名の起源となり、水路は一ノ井・二ノ井などと称し、現在も神社の境内を流れています(下の写真)。

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秦氏は、かっては秦の始皇帝の子孫の大陸人といわれていましたが、近年の歴史研究では朝鮮新羅の豪族とされています。松尾大社のHPに載っている由緒にも、近年の研究成果が反映されています。左は「授与所」。

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農業が発展するにしたがい他の産業も興り、絹織物や酒が盛んにつくられるようになりました。この日は7月7日に行われる七夕祭に向けて、願い事が書かれた風鈴が並んでいました。

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酒造は秦一族の特技とされ、後に松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれるまでになります。 (境内のあちこちで「亀」が見られますが、その由来については後ほど。)

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時代と共に経済力と工業力を得てきた秦氏は、大和時代以後朝廷の財務官吏として影響力を増していきました。(拝殿で大袚式の神事が行われていました。)

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奈良時代の政治が行き詰まると長岡京へ、次に平安京へ遷都を誘引したのも、秦氏の勢力によるものが大きかったといわれます。(「招福樽うらない」は、自分で矢を射て吉凶を占います。運は自力で引き寄せるという意味があるのかも知れません。)

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奈良時代の文武天皇の大宝元年(701)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を授かり、山麓の現在地に神殿を営み、山上の磐座の神霊をこの社殿に移しました。これが松尾社で、現在の松尾大社の始まりです。

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秦氏の女性の知満留女(ちまるめ)が斎女として奉仕し、秦氏の子孫が明治初年まで当社の幹部神職を勤めたました。延暦3年(784)桓武天皇は都を長岡京に移し、秦氏の邸宅に御所を営みました。 下は「相生の松」で恋愛成就の御利益があるとか。

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桓武天皇はまもなく平安京に都を移すと、当社と賀茂神社とを皇城鎮護の社としました。賀茂の厳神、松尾の猛霊と並び称されました。清少納言は『枕草子』で「神は松の尾、八幡。この國の帝にておはしましけむ」と述べています。 「幸運の撫で亀」

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その後も朝廷の信仰が厚く、神階は従三位から貞観元年(859)には正一位に、後に勲一等に叙せられました。鎌倉時代に入ると武家たちにも信仰されるようになり、将軍たちからさまざまな奉納・献上がありました。「幸運の双鯉」

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本殿の左手前に摂社が並んでいます。手前から、「衣手社」は農耕や産業の神・羽山戸神(はやまとのかみ)を祀り、「一挙社」は困難を一挙に解決する一挙神、「金刀比羅社」は商売繁盛・交通安全の神・大物主神(おおものぬしのかみ)を祀ります。

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江戸時代には、各地に展開する社領千三百三十三石、嵐山一帯の山林一千余町歩を所有し、奉仕する神職は三十三名、神宮寺の社僧は十余名いたといわれます。 一番奥は「祖霊社」、松尾大社ゆかりの人々の霊を祀ります。

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全国に現存する一千三百余の分霊社の多くは江戸時代に創設されました。「本殿」には、大山咋神とともに、福岡宗像大社の三女神の一人の中津島姫命(なかつしまひめのみこと、市杵島姫命)を祀ります。中津島姫命は航海の守護神です。

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幕末には松尾祭が勅祭となり、明治4年(1871)には全国神社中第四位の序列の官幣大社となり、政府が神職の任命や社殿の管理などを行う国の管轄とななりました。

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終戦後は、国家管理の廃止により官幣大社の称号がなくなり、同名神社との混同を避けるために昭和25年(1950)に「松尾大社」と改称し現在に至ります。左は顔はめパネル、右の「おみくじ結び所」は立体ハート型です。

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松尾大社の大神(祭神)が太古、山城丹波の国を拓くため保津川を遡った時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進んだと伝えられ、以来亀と鯉は神の使いとして崇められているそうです。社務所の前に「神使の庭 亀と鯉」があります。

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亀は不老長寿、鯉は出世開運の守護の姿を表しているとされます。下は「祓戸大神」(はらえどのおおかみ)、穢れを祓い、心身を清める神を祀り、ここからまず参拝することが勧められているそうです。

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コメント

こんばんは。
松尾大社、立派な神社ですね。
風鈴が涼しそう。ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2026年7月 3日 (金) 00:36

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