西本願寺 書院と飛雲閣
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西本願寺では、「世界遺産・西本願寺を巡る 国宝特別拝観」が行われています。西本願寺は、豪壮華麗な桃山文化を彷彿とさせる飛雲閣や書院、阿弥陀堂、御影堂などの国宝や重要文化財を数多く所蔵しています。特別拝観は、通常非公開の国宝を
僧侶の分かりやすくユニークな解説とともに巡ります。ただし、京都駅前にあるTHE THOUSAND KYOTOの宿泊者限定プログラムです。書院と飛雲閣は年に1,2回、一般向けの特別拝観もあります。以下では書院と飛雲閣を紹介します。
西本願寺は慶長元年(1596)の大地震で諸堂が倒壊、元和3年(1617)の火災でも両堂や対面所などを焼失。寛永13年(1636)に御影堂が再建、対面所などの書院や飛雲閣、唐門が整備されました。「書院玄関」(重文)、対面所への入口です。
「書院」(国宝)は対面所と白書院、黒書院からなり、桃山時代の書院造を代表する大建築です。狩野派の渡辺了慶一派や円山派が手がけた美しい金碧障壁画や重厚な彫刻で飾られています。28頭の虎を描いた「虎の間」の「竹林群虎図」(復元模写)
203畳敷きの「対面所」は、欄間に鴻(コウノトリ)の透かし彫りがあることから「鴻の間」とも呼ばれ、その西側には「雀の間」「雁の間」「菊の間」など、意匠を凝らした小部屋が並びます。
欄間のコウノトリの透かし彫り 部屋の内部の写真は京の冬の旅のHPとガイドブック、西本願寺のHPからの転載です。
対面所下段左側の巨松と花鳥を描いた金碧松鶴図
「南能舞台」(重文) 江戸時代前期に整備され、対面所を見所とした切妻造の舞台。現在も毎年5月21日の親鸞聖人降誕会の祝賀能で使用されています。国内最大の能舞台ともいわれ、間をとりにくい縁者泣かせの舞台だそうです。
対面所の西にある雀の間には、金地著色の竹雀図の障壁画が描かれ、格天井には金碧様式の美しい花卉図(かきず)が描かれています。細密な写実的手法で、三十六の格間に四季折々の花が花菱文様に囲まれた円相の中に描かれています。
対面所の東にある「虎渓(こけい)の庭」は、派手で大胆な桃山時代の様式を伝える特別名勝の枯山水です。虎渓とは中国江西(こうせい)省の廬山(ろざん)にある渓谷のことで、御影堂の屋根を名山・廬山に見立てた借景としています。
「白書院」は対面所の大広間に対して小広間とも呼ばれ、門主の対面の儀式や賓客の接待などに使われていました。二十四畳敷の一の間(紫明の間、下の写真)を主室とし、二の間、三の間(孔雀の間)の絢爛豪華な三室が一列に並んでいます。
一番奥の三の間は樹木と孔雀を中心とした金碧花鳥図です。この三の間は、室内能舞台にもなります。対面所と白書院のどちらも、門主の座る上段の間の横に「武者隠し」があり、本願寺の厳しい歴史を反映しています。
「北能舞台」(国宝) 懸魚(げぎょ)に天正9年(1581)の銘があったとされ、現存する最古の能舞台で、能舞台としては唯一の国宝です。白書院を見所とし、正面が入母屋造りの簡素な能舞台で古式を感じさせます。
「黒書院」(国宝) 白書院と板敷と畳敷の複廊で繋がる瀟洒な建物。内輪の対面や接客、門主が寺務を行う場でした。主室の一の間、二の間を中心に茶室、鎖の間、広敷などからなり、一の間や二の間、茶室には狩野探幽の水墨画が描かれています。
「東狭屋(ひがしさや)の間」 狭屋の間は幅が狭く細長い空間であるため通路や廊下のように見えますが、畳が敷かれていて部屋と見なされます。天井は書物の絵(下の写真)で、鼠避けの「八方睨みの猫」が一匹だけ混じっています。
「飛雲閣」(国宝)は3層のこけら葺(ぶ)きの楼閣です。池は「滄浪池(そうろうち)と呼ばれ、楼閣は金閣、銀閣とともに「京都三名閣」と並び称されています。この池から右(西)に池泉式庭園「滴翠(てきすい)園」が広がっています。
滴翠園は、江戸時代前期(1618年)に聚楽第から飛雲閣を移した際に、苑池として造られました。本願寺18世・文如により滴翠園奉行が置かれれて整備が始まり、「滴翠園」と名付けられたといわれます。
園路の横は滄浪池にそそぐ涸流れで、途中に文如による毫塚の「乾亨主人毫塚」があります。
園路の右は「艶雪林」で七重石塔「俗風塔」があります。文覚上人の塔とされ、江戸時代前期の寛永年間(1624-1643)に移されたといわれます。文覚(生没年不詳)は平安末期から鎌倉初期にかけての武士、真言宗の僧で、孫弟子に明恵らがいます。
江戸時代中期(1768年)には2つの茶亭「澆花亭」「青蓮樹」が置かれ、涸流れの向こうに待合があります。ここから園路を飛雲閣の前まで戻ります。
この滄浪池には流れ込む川はなく、自然の湧水だそうです。現在は池に石橋がかかっていますが、それ以前は舟で飛雲閣に出入りしていたそうで、手前の石段はかっての船乗り塲だと思われます。
右は「黄鶴台(おうかくだい」という蒸し風呂、その手前にむくり(上向きの曲線)屋根の廊橋「擲盃橋」が見えます。池の向こうは南隣の興正寺の塀です。
滄浪池を回り込んで、飛雲閣の正面に行きます。初層の左の「舟入の間」は唐破風屋根、右端(西)の招賢殿は入母屋、載り反り屋根になっています。二層の歌仙の間は、三方に唐破風屋根でむくりになっています。
北の舟入が正面玄関となっていて、その左(東)に茶室「憶昔席(いくじゃくせき)」が造られています。
憶昔席へはこちらの木の「踏花塢(とうかう)橋」を渡っていくことができ、途中に中門と待合があります。塀の向こうは本願寺の鐘楼です。
木橋のところから坂道を上った高台にあずまやの「故蝶亭」があります。江戸時代中期に制定された「滴翠園十勝」の一つに数えられています。他は、飛雲閣、滄浪池、龍背橋、踏花塢(龍背橋の出島付近)、嘯月坡(しょうげつは、滄浪池の堤付近)、
黄鶴台、艶雪林、醒眠泉(せいみんせん、湧水)、青蓮榭(西の茶室)です。故蝶亭から飛雲閣の三層がよく見えます。8畳あり摘星楼(てきせいろう)ともよばれ、星が掴めるほどの視界があり、かつては比叡山を望むことができたといいます。
もう一度正面に戻り、手前が「踏花塢」。飛雲閣は1951年に国宝、滴翠園は1958年に名勝に指定されました。このあと、西本願寺を出て正面通に向かいます。
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投稿: ゆーしょー | 2026年7月22日 (水) 00:15