圓光寺 本堂の絵画と書院からの眺め
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一昨日の本願寺北山別院をあとに、その北にある圓光寺を訪れました。「圓光寺」は山号を瑞厳山(ずいがんざん)という臨済宗南禅寺派の寺院です。下は山門、入って右手に拝観受付があります。
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長6年(1601)に臨済宗の僧・三要元佶(さんようげんきつ)を開山に招いて伏見に圓光寺を創建し、学問所「伏見学校」としました。当時の徳川幕府の拠点は伏見にありました。
伏見学校は僧俗問わず門戸が開かれ、家康は多数の書籍を寄贈、儒学者の藤原惺窩(せいか)、朱子学の林羅山らも講義を行いました。圓光寺の一角では、家康から贈られた木活字により多数の書籍が印刷・出版され「圓光寺版」といわれました。
「奔龍庭」は白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組で表した平成の枯山水です。奥は宝物館の「瑞雲閣」で、貴重な寺宝を収蔵しています。
宝物館には当時の木活字が展示されています。近世初期には活字版印刷が盛んとなり、印刷された書籍は古活字版と称されました。その一つの伏見版(圓光寺版)は現存する日本最古の木活字として、52,320個が重要文化財に指定されています。
伏見学校は漢学を教授する学校として創建され、慶長4年(1599)~慶長11年(1606)にかけて、論語に漏れた説話集『孔子家語』、兵法書の『六韜(りくとう)」や『三略』、唐の二代目皇帝太宗李世民の言行録『貞観政要』などが出版されました。
圓光寺(伏見学校)の開山の元佶は閑室(かんしつ)元佶とも呼ばれ、以心崇伝らとともに家康のブレーンとして寺社奉行などを務めました。「玄関」
渡辺章雄による襖絵「四季草花図」、渡辺章雄の経歴は後ほど。
後に圓光寺は相国寺の境内に移りましたが、元和年間(1615-1623)に焼失、1623年に大名・細川忠利が再建しました。沢雲住持の時の寛文7年(1667)幕命によって現在地の修学院村に移転し「洛陽学校」とも呼ばれました。「中門」
中門を入ると水琴窟があります。縁が広い盃型の手水鉢を用いた水琴窟はあまり例が無く、古くから「圓光寺型」として多くの趣味人に愛されてきたそうです。いつも季節の草花が添えられています。
圓光寺は明治維新後の廃仏毀釈で無住の寺になりました。明治39年(1906)尼僧の南嶺尼(なんれいに)が寺を整備して住持となり、全国で唯一の尼僧専門道場を開きました。現在は南禅寺派の研修道場になっています。「本堂」にあがります。
中央の仏間には本尊の千手観世音坐像を祀っています。この日は本堂の襖絵などの絵画に説明があったので見て回りました。
『出水芙蓉図』 作者の阿海(アハイ)は1963年南京の生まれ、南京美術学校を卒業後、ドイツ、香港、マカオ、南京、上海、アメリカで個展や展覧会に出品、現在上海とサンフランシスコに在住しています。
『瑞風青栖竹』 作者の渡辺章雄は1949年大阪市に生まれ、京都教育大学特修美術科日本画専攻科を修了したのち、1971年京展で商工会議所会頭賞、1975年には全関西芸術展にて阪急百貨店賞を受賞、その後、数々の受賞歴を重ねています。
2001年からは百貨店を中心に個展の開催にも力を入れ活躍の幅を一層広げました。太宰府天満宮や北野天満宮など数々の寺社仏閣に作品を奉納していることでも知られ、 現在は大阪芸術大学と京都精華大学で非常勤講師を務めています。
『米點(てん)山水図』 作者の富岡鉄斎(1837-1924)は、明治・大正期の文人画家、儒学者で、立命館および晩年は京都市美術学校の教員を務めました。絵画が認められると数々の展覧会の審査員を務めましたが、自らはあまり出品しませんでした。
鉄斎は学者(儒者)が本職であると自認し、絵画は余技であると考え「最後の文人画家」といわれています。画題の米點(点)とは水墨山水画の技法の一つで、山や樹木などを水墨の横点を連ねて表します。1885年秋に圓光寺を訪れたときの作です。
書院の裏庭の向こうに、明治の元勲・岩倉具視公がつくった茶室「待月庵」があり、四季折々に茶会が開かれるそうです。
「十牛之庭」 仏道入門から悟りに至る十の道程を牛と牧童で表した「十牛図」を題材にした枯山水庭園です。牛は人間が生まれながらに持っている仏心を表し、牧童が逃げた牛を探す様を悟りにいたるまでの道程とみなします。
懸命に探し求めていた悟りは、自らの心の中にあったという物語だそうです。庭の東(左)に「臥牛石」が置かれ、そこから大小十の伏せ石が牛にたとえられて配置されています。
このあと、本堂・書院から下りて庭園や坐禅堂、高台にある墓地や家康の旧跡を見に行きました。
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コメント
こんばんは。ゆーしょーです。
書院からの眺めは素晴らしいですね。
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投稿: ゆーしょー | 2026年6月 7日 (日) 00:08
≪…「十牛図」…≫で、≪…牛を探す様…≫を[ 数を探す様 ]に・・・
数とは一から習い十を知り十より戻るその一
実数直線上に4次元までの数体が溶け込んでいるのを十牛図に重ねる。
1尋牛 尋[1] ヒフミヨの[1]
2見跡 [1]のでんぐり返り 素数・偶数
3見牛 [尋牛 見跡]のでんぐり返り
素数・奇数
4得牛 [尋牛 見跡 見牛]のでんぐり返り、合成数・
2次元数体の2の[得牛(数)](2)で、
[見跡(数)](√4=2)(直径)
尋数[1]から、見跡[1]の二つで、
[直径]=[1]+[1]=[2]は、
[半径]の二つ分
[i⁴]=[1] 〇に見跡[4]つ
[得数]は、数の概念(悟り?)を得る風景に・・・
〇 と ▢ の縁起(関係)
円 丸 四角 名称
2π 4 基本形からの周囲長
π 1×1=1 面積
∞ 4 ○と▢の一周のなぞり
(不確定) 4接点のトビトビ で確定する接点の数
連続 離散 数の言葉ヒフミヨ
自然(じねん)数と言葉
との[シンタックス]
と[セマンティックス]
の確立
極座標 『ヒフミヨ座標』 [数]を平面からの送
り返しモノとして
[得数]
5牧牛 平面から観る[牧牛(数)]は、実数直線上の
[見跡](√2)や[見牛](√3)については円環内に
収まるが、[牧牛]√5は、円環の外(牧牛)に・・・
√5は、円の筋交い
(1×2の長方形の対角線 ヴェシカパイシス)
6騎牛帰家 平面から観る[騎牛帰家](騎数数体
(次元・位相))は、実数直線上の[騎数数体]√6で、
計算による√2×√3=√6が、完全数6の姿は、
基本三角[6]を円に呈示
7忘牛存人 極座標と直交座標(『ヒフミヨ座標』)を縁起
付ける方程式に正七角 (高見神社の算額 北九州市)
x²+y²=1
y=(1/√7)(4x²-x-3)
y=-(1/√7)(4x²-x-3)
連続 と 離散 の風景
8人牛倶忘 平面からの数を[人(平面)数倶忘]する
2³=2×2×2 からの立方体数(1×1×1)の姿
『幻の直角三角形』
[水平](1) [垂直](√8) [傾斜](3)
1² + (√8)² = 3²
1 + 8 = 9
サイクロイド曲線の曲線長と直線長の縁起の
カオスとコスモスの反転
曲線長 直線長
8 2π
コスモス カオス (心月弧円光呑万象)
9返本還源 平面(√4=2)からの数の姿に[返本還源]
(√9=3)している 3²=3×3 の姿
10入鄽垂手 4次元までの数を自由に使いこなせる
[入鄽垂手](十の物指)の姿
いろは詩の冒頭の慣用句の[い]の
1を聞いて10を知る
犬も歩けば棒に当たる
一寸先は闇
をヒフミヨの[ヒ]に・・・
数の言葉ヒフミヨの自然(じねん)数は、大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】に託すと
十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号の送り返して来たモノとで[十牛図]から数への悟りへ
―――令和ヒフミヨ哲学―――
投稿: 京のヒフミヨ巡り(自然数のキュレーション)) | 2026年6月11日 (木) 20:35