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2026年5月22日 (金)

二条公園 平安京・京都所司代跡と鵺伝説

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

昨日の記事に続いて、二条城の北西にある「二条公園」に立ち寄りました。元は昭和天皇即位の記念に開かれた博覧会の会場に設けられた児童公園で、2005年にリニューアルされて、緑あふれる綺麗な公園となりました。

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現在の二条公園のある場所は、今から約1,200年前の平安時代には政治の中心であり、天皇の住まいでもあった平安宮の一角でした。平安宮の中には、様々な役所が集中していましたが、この場所には太政官と宮内省がありました(下図は公園前の案内板から)。

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太政官は行政の最高機関で、他のほとんどの役所をその管轄下におきました。また、平安宮の中心施設である大極殿の代わりとしても使われました。(公園の西の道を歩いています。)

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平安時代後期から末期の後三条天皇や後鳥羽天皇は、本来大極殿でおこなう即位式をこの太政官でおこなっています。宮内省は天皇や皇族の衣食住のほとんどを担当した役所です。(公園内の西に東屋・休憩所があります。)

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「百万本植樹運動記念」の碑 大気汚染や河川の汚濁などの公害で、市民の健康は脅かされ自然が破壊されてきていた1971年、市民ぐるみで植樹を行い緑豊かな街にと100万本植樹運動がスタートしました。

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平成14年(2002)に二条公園の中で実施した発掘調査では、宮内省の西側を区切る築地塀(上を積み重ねて作った堀)の痕跡を確認し、平安時代前期(約1.200年前)の土器や瓦が出土しました。(東屋で一休みしました。)

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公園の中央の小山の周囲に池があります。ここから東に向かいます。

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江戸時代の二条城の周りには、西日本の政治をおこなうために江戸幕府が任命した京都所司代の屋敷が造られました。二条城の北側に上屋敷、中屋敷、下屋敷の3つの屋敷が設置されました。

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所司代は上屋敷に住み、役所としてもこの上屋敷が使われました。上屋敷は昨日の記事で通ったところですが特に目印は見つかりませんでした。下図の中屋敷(堀川屋敷)は一昨日の記事に登場した、初代と2代の所司代・板倉勝重、重宗の屋敷です。

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二条公園は下屋敷が置かれた場所の一部に当たります。下屋敷は千本通に面していたため、千本屋敷とも呼ばれていました。(公園の東にはベンチや砂場、藤棚などがあります。)

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この下屋敷には、所司代の家臣や所司代付の足軽の家族が暮らしていました。その大きさは二条城よりもひとまわり小さいとはいえ広大であり、多くの武士がいたことが推測できます。

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昭和56年(1981)に二条公園内でおこなった発掘調査では、 江戸時代の幅4.5mの濠跡が見つかっており、この下屋敷に関連する可能性があるとされています。

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発掘調査が行われた場所は限られていますが、公園全域で江戸時代から平安時代までの遺跡が埋まっていると思われます。

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この辺りは小さいな子供が遊ぶ場所のようです。ここから公園の北の道を通って再び西に向かいます。

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「鵺(ぬえ)池」 この池には伝承があります。『平家物語』巻4によると、院政期とも呼ばれる平安時代後期、深夜、天皇の住まいである内裏に怪しい鳥の鳴き声がしました。

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近衛天皇が非常に怯えられ、毎晩午前2時頃にうなされるようになりました。謎の化け物退治に、当時すでに50歳前後でしたが弓の名手の源頼政が選ばれました。

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頼政は気が進まないようでしたが、勅命を断ることも出来ずに郎党の井早太(いのはやた)を連れてとがり矢2本と慈籐の弓を持ち、紫宸殿で待ち構えます。頼政が見事に矢で射とめ、井早太が取り押さえて刺してとどめをさしました。

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源頼政が射落とした怪鳥は、頭は猿、 胴は狸、手足は虎、尾は蛇という姿の鵺(ぬえ、鵼とも書く)だったといいます。そのときに血の着いた鏃(やじり)を洗ったのが鵺池だと伝えられています。二条公園北の郁芳通に面して「鵺池地蔵尊」があります。

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近衛天皇は関心されて、頼政に「師子王」という剣を与えました。ちなみに、その時の鏃2本が下京区の「神明神社」に伝わっています。「鵺池碑」 元禄13年(1700)に建てられた原碑が摩滅し、昭和11年(1936)に復元されました。

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「鵺大明神」 祠には鵺大明神とともに、玉姫大明神と朝日大明神もまつられています。江戸時代には「鵺石」もあり、触れると祟られるとされたそうですが今はありません。最後の写真は郁芳通と美福通の交差点、このあと二条城に向かいました。

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投稿: ゆーしょー | 2026年5月23日 (土) 00:13

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