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2026年5月15日 (金)

葵祭 その歴史と見どころ

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

今日(5月15日)は葵祭の行列が行われます。今年は出かける予定はないので、葵祭の見どころと、古代の賀茂氏の祭が国家の祭礼となり、その後現在のような祭になるまでの歴史を紹介します。いつもより写真の枚数が多くなりましたのであしからず。

「葵祭」は陰暦四月の中の酉の日に行われた上賀茂神社、下鴨神社の例祭で、古くは「賀茂祭」といい、『日本書紀』には雄略天皇の即位の年(457年)「騁射(うまゆみ)」を行ったと伝わっています。(「乗尻(のりじり)」 行列を先導する騎馬隊。)

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欽明天皇(在位539-571)の頃、風雨がはげしく五穀が実らなかったので、賀茂社の崇敬者であった卜部伊吉若日子を勅使として、祭礼を行ったところ、風雨はおさまり五穀は豊かに実ったといいます。「検非違使志(けびいしのさかん)」 警察司法の担当者。)

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その祭礼では馬に鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしました。(葵祭の「路頭の儀」は、勅使代列と斎王代列からなります。)

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また、平安時代前期の819年には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行う勅祭になりました。「検非違使尉(けびいしのじょう)」 検非違使庁の役人で五位の判官。志の上役で行列の警備の最高責任者で、舎人の引く馬に乗ります。 

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「山城使(やましろつかい)」 地方警察として警護の任につきます。後ろに「御幣櫃(ごへいびつ)」 賀茂両社の神前に供える御幣物を納めた櫃で、それらを管理する文官「内蔵寮史生(くらりょうのししょう)」が続きます。

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室町時代になると葵祭は徐々に衰退に向かい、応仁の乱以降は途絶えてしまいます。(「御馬(おうま)」 走馬(そうめ)ともいわれ、下鴨・上賀茂両社の神前で走らせ、神々にご覧に入れる馬です。)

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江戸時代の1694年に祭が再興されたとき、内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾られました。「馬寮使(めりょうつかい)」 走馬をつかさどります。

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祭の再興には霊元天皇が尽力し、江戸幕府が後援しました。祭礼で用いられる葵が徳川将軍家の家紋でもあったので、祭の前に葵縵(あおいかずら)を将軍に献上しました。そして、この頃より葵祭と呼ばれ始めました。

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上と下は「牛車(ぎっしゃ)」。御所車ともいわれる勅使の乗る車で、藤の花などを軒に飾り、牛に引かせています(現在では勅使は乗っていません)。牛童(うしわらわ)、車方、大工職などの車役が、替え牛とともに従います。

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かっての祭儀は、「宮中の儀」、「路頭の儀」、「社頭の儀」の三つからなりましたが、現在は宮中の儀はありません。「和琴(わごん)」 御物の和琴で「河霧」の銘を持ち、神前で奏楽します。2人で運ばれ、後に舞人(まいびど)が続きます。

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「勅使」 天皇の使いで四位、行列中の最高位者です。近衛中将が勤め、近衛使(このえづかい)ともいわれます。現在は路頭の儀には加わらず、近衛使代が勤めます。当時の様式どおり、飾太刀、馬も美々しい飾馬です。

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葵祭は再び明治時代に途絶えます。明治12年(1879)明治天皇の旧儀復興の仰せにより、御下賜金三千円を賜り、三勅祭として復活しました。(「風流傘(ふりゅうがさ)」 行列の装いとして大傘の上に牡丹や杜若など季節の花(造花)を飾り付けたもの。)

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「陪従(べいじゅう)」 近衛府の五位の武官で、この日は賀茂両社の社頭で歌をうたい楽器を奏する役を勤めます。陪従の後に「内蔵使(くらづかい)」 内蔵寮の次官で五位の文武兼官。職名は内蔵助で、勅使が神前で奏上する御祭文を奉持しています。

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続いて、「斎王代列」がやってきました。女人列ともいわれ、先頭を行くのは「命婦(みょうぶ)」 命婦は女官の通称ですが、行列では小桂(こうちき)を着用する高級女官で、花傘をさしかけられています。

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第2次世界大戦中の昭和18年(1943)行列は再び中止されました。戦後の昭和28年に復活し、同31年に斎王に変わる、斎王代の女人行列が行われるようになり現在に至ります。(「女嬬(にょじゅ)」 食事をつかさどる女官です。)

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斎王は祭祀に奉仕した未婚の皇女で、伊勢神宮と賀茂社にだけ奉仕し、それぞれ、「斎宮」と「斎院」とも呼ばれます。賀茂社には810年から斎王の制度が始まり、初代の有智子内親王の墓は落柿舎の隣にあります。

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現在は、未婚の京都市民の女性が「斎王代」に選ばれます。御禊(みそぎ)を済ませた斎王代は、五衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)、十二単の大礼服装に、小忌衣(おみころも)をはおり、髪はおすべらかしです。腰輿(およよ)という輿に乗って参向します。

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源氏物語にも、葵祭の斎王列を見物しようと、光源氏の妻、葵の上と六条御息所が、車争いを演じた場面が登場します。光源氏はかって勅使の役目をしたことあります。腰輿の前を童女(わらわめ)が進みます。腰輿の前後に童女、カワイイ!

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斎王の屋敷・斎院に仕えた、女別当、内侍、命婦、女嬬、采女(うねめ)、童女、騎女(むねのりおんな)などの女官に扮した女性たちが、当時の正装で参列しています。

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「騎女」 斎王付きの清浄な巫女(みかんこ)で、騎馬で参向する6騎の女丈夫なのでその名で呼ばれました。この日は30度を超す猛暑でしたが、馬や牛も暴れることなくく祭を盛り立てていました。

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「蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)」 蔵人所は斎院の物品、会計をつかさどり、陪従は雅楽を演奏する文官で、それぞれ楽器を持っています。

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2代目の牛車が来ました。こちらは、かって斎王が乗った牛車で俗に女房車とよばれます。御所車と同様に、牛童(うしわらわ)、車方、大工職などの車役が、替え牛とともに従います。大工職は牛が暴れて牛車が壊れたときに修理をするためです。

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行列は堺町御門を出て、下鴨神社の社頭の儀に赴きます。行列の最後尾は検非違使庁の武官が警護にあたります。

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下鴨神社で「社頭の儀」を行った祭列は、午後に賀茂川西の賀茂街道を通って上賀茂神社に向います。「勅使代」 この行列(路頭の儀)には勅使の代理が参列しますが、最後の上賀茂神社では本当の勅使が登場します。

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「斎王代」 今年は、左京区出身の同志社大生・塩見真桜(まお)さん(21)が選ばれました(写真は以前の斎王代)。実家は曾祖父の代から下鴨で開院している塩見医院だそうです。

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上賀茂神社に到着した祭列は一の鳥居から二の鳥居に進みます。その際、花笠は二の鳥居の横にある「風流桜」の前に飾られます。毎年見事な花を咲かせる枝垂れ桜ですが、その名はこの風流傘にちなんでいます。

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斎王代たちが神官に導かれて一の鳥居から参進します。ここでは、輿や馬から降りて歩きます。童女たちは慣れない衣装や履き物で約8㎞の道を歩いてきました。後に女官たちが続きます。

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しばらくしてから、一の鳥居の近くから「近衛使代」が勅使を伴って本殿まで参進します。「勅使」は天皇陛下からの御使いで、現職の宮内庁掌典職が派遣されてきます。

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上賀茂神社の社頭の儀は、勅使が天皇陛下から託された祭文と幣物を神社の祭神に奉納する、葵祭で最も重要な儀式です。「舞人」と「陪従(べいじゅう)」が勅使に従って参進します。陪従は歩きながら琴や笛の演奏をしています。

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社頭の儀は二の鳥居の内側で行われ、芝生席からは見えません。ただし、マイクで詳しく式次第を説明してくれ、内部の参列者に合わせて何度も起立・低頭(お辞儀)をさせられます。二の鳥居横で、検非違使の武官たちが式を護衛しています。

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勅使による奉納の後、これから走る馬を神様にお披露目する「牽馬(ひきうま)の儀」が行われます。

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「走馬の儀」では、最初に神馬の2頭が一の鳥居から二の鳥居まで走ります。二頭の神馬が走った後、御所屋で拝観していた勅使は退席します。ここまでがかっての勅祭の名残です。

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神馬の後、4頭の馬が走ります。走馬の儀の乗尻(騎手)は賀茂競馬と同様、賀茂県主(あがたぬし)同族会、すなわち、神社を創建した賀茂氏の子孫の皆さんです。

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コメント

こんばんは。ゆーしょーです。
5月15日は葵祭でしたよね。
葵祭は古い歴史があるのですね。
そして着物を着た女性が馬に
乗っていますね。
大変でしょうね。
ポチ♪2

投稿: ゆーしょー | 2026年5月16日 (土) 00:39

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