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2026年5月 4日 (月)

妙心寺 北東部の塔頭と縁まわしの鐘

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

先日、妙心寺の公開中の塔頭、桂春院、大雄院、大法院を訪れたとき、境内の北東部にある塔頭を見て回りました。「妙心寺」は、正式名称を正法山妙心寺といい、全国に3400の寺院を持つ臨済宗妙心寺派の大本山です。

創建以来多くの塔頭が建てられ、広大な境内には46の塔頭が立ち並んでいます。下は境内図の北部で、北総門から入り東に歩いた突き当りに最初の塔頭があります。

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「光国院」元和6年(1620)、加納城主・松平忠隆が、父・忠政の菩提を弔うために、名古屋・総見寺の梁南禅棟(りょうなんぜんとう)を招いて創建。当初は現在地の南にあり勅使の休憩所として使われていたそうです。

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右手に新しくできた「縁まわしの鐘」という看板がありました。上の境内図では光国院の南西にあり、北総門の南の道に山門がある隣華院の敷地のようです。HPが作られていて「鐘をならしてご縁を祈る 小さな小さなお祈り場​」とあります。

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縁まわしの鐘(Kyiziとも呼ばれる)はミャンマーで、寺院の儀式や敬虔な仏教徒によって用いられてきた鐘だそうです。功徳をめぐらせるため、お祈りなどの際に鐘を鳴らして縁をめぐらせます。(中央は工事中で何かが建つようです。)

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鐘は三角形の板状の形をしており、木製のばちを用いて、三角形の左側または 右側の端を叩くと、良い音を奏でながらまわります。叩き方により音色が変わり、長く響わたります。

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右手のコーナーに日本語と外国語でお祈りの方法が書いてありました。最初に「縁まわしの札」に近づけたい縁、遠ざけたい縁、届けたい縁などを記入(住所・氏名は書かない)、札1枚につき、100円程度の志納金を左の箱に納めます。

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鐘の右側を一回叩いてまわし、札を両手に挟んでお祈りします。​やさしく打つと美しい音色が響きわたります。お祈りが終わったら札かけに結びます。既にたくさんのお札が結んでありました。

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この鐘は隣華院のご住職がミャンマーで出会い、その胸に響く音色と敬虔な仏教徒に伝えられている文化に感銘をうけて、譲りうけた鐘だそうです。

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「雲祥院」 安土桃山時代の慶長3年(1598)、細川氏家臣・長岡是庸(これつね)が、妙心寺派の海山元珠を開祖として創建。方広寺鐘銘事件の際に徳川方が五山の僧にその審議を依頼、海山元珠だけが唯一問題ないと答えたことで知られています。

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「長慶院」安土桃山時代の慶長5年(1600)、檀越・松嶽寿保信女(杉原くま、長慶院殿)により妙心寺71世・東漸宗震(とうぜんそうしん)を開祖に招いて創建されました。

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「買うより助ける選択を」として、「保護犬・猫の譲渡会」を行っています。ヨガ教室も行っていて春は4月、秋は10月に開校、それぞれ23回催されます。

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「桂春院」 先日記事にしましたが、慶長3年(1598)織田信長の孫・津田秀則が、妙心寺73世の水庵宗掬(すいあんそうきく)を開祖として創建しました。

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こちらも記事にした「大雄院」、慶長8年(1603)石河(いしこ)光元(竜野城主)の長子・石河光忠(のちの尾張藩名古屋城代、当時9歳)により、父光元の菩提を弔うために創建されました。

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「養徳院」 安土桃山時代の天正11年(1583)石河光重(いしこみつしげ)が、父・光延の菩提を弔うために妙心寺67世・功沢宗勲(こうたくそうくん)を開祖に招いて創建しました。隣り合う二つの塔頭が石河一族の菩提寺でした。

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「蟠桃院」 安土桃山時代の慶長6年(1601)、前田玄以が一宙東黙(いっちゅうとうもく)を開山として創建。玄以も当院に葬られ、玄以の女婿・堀尾忠氏、稲葉貞通、伊達政宗らが庇護しました。

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「海福院」 江戸時代の天和2年(1616)、福島正則が、夬室智丈(かいしつちもん)を開祖として建立、以後、福島家の菩提寺になりました。江戸時代後期に本堂が等持院に移されたといいます。

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珍しい曲線を描いた土塀があります。歩いている境内の北東の道は何度も曲がり、どの方向に歩いているのか分からなくなりました。でも、ほとんど一本道なので迷子にはなりませんでした。

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「微妙殿」 昭和56年(1981)建造された妙心寺本山の供養のための建物です。

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「雑華院」 安土桃山時代の天正11年(1583)、養徳院創建の余地を石川光重から譲られた牧村利貞は、実弟の妙心寺79世・一宙東黙(いっちゅうとうもく)を開山に招いて創建しました。

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牧村利貞は伊勢岩出城主となり、織田信長の死後豊臣秀吉に仕えて各地を参戦、天正18年(1590)秀吉より伊勢国内に所領を与えられました。文禄の役に参陣するも文禄2年(1593)病死、当院が菩提寺となりました。利休七哲の一人。

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歩いている道の左手に石標があり、この道の奥に「福寿院」と「如是院」があります。

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こちらは前回記事にした「大心院」、足利幕府管領・細川政元が妙心寺10世景堂玄訥(けいどうげんどう)を招いて創建、玄訥は師の景川宗隆(けいせんそうりゅう)を勧請開山としました。ツツジが咲いていました。

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「東海庵」 室町時代の文明16年(1484)、越前守・斉藤利国の妻・利貞尼が妙心寺第11世住持・悟渓宗頓(ごけいそうとん)禅師を開祖として創建。築山と三尊石を中心とした「東海一連の庭」と呼ばれる枯山水庭園(史跡名勝)があります。

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最後の写真は境内中央の東西の道で、今日はここまでです。励みになりますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

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投稿: ゆーしょー | 2026年5月 5日 (火) 00:55

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