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2026年5月29日 (金)

堀川通を歩く 二条通から押小路通

過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。

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※写真は全てクリックで拡大します。

一昨日の続きで、堀川通を南に歩きます。TOPの「二条通」は平安京の二条大路にあたり、大内裏の南を東西に走り、朱雀大路に次ぐ広い通りでした。東は白川通から西は堀川通まで、かっては二条城の西にも続いていて地名が残っています。

東堀川通と交差点の南東は「ホテル ザ ミツイ キョウト」、選びぬかれた天然の素材と卓越した工芸の客室160室を備え、「ミシュランガイド ホテルセレクション 2025」で最高評価3、ミシュランキーを獲得。

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「フォーブストラベルガイド 2026」で5年連続5つ星、「世界のベストホテル50 2025」に選出されています。下は東の油小路通に面するホテルの門で、「旧梶井宮御門(旧三井家油小路邸門)」(登録有形文化財)です。

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「橋本左内寓居跡」 橋本左内(1834-59)は福井藩出身で父は藩医。大坂で緒方洪庵(1810-63)に医学洋学を学んだ後、江戸に出てさらに蘭学医学を学びました。藩主松平春嶽(1828-90)に認められ藩医・御書院番・藩校学監となり、藩政改革に尽力しました。

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「福井藩邸跡」 越前福井藩は家康の子結城(松平)秀康(1574-1607)を祖とする松平氏が治めました。この地に藩邸が置かれたのは比較的新しく、天保2年(1831)の絵図に描かれるのが最も早い例です。*このあたりでは東堀川通を歩いています。

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幕末の藩主松平春嶽(1828-90)は人材を登用し藩政改革を断行して四賢公の一人とされ、公武合体派の中心として幕末の京都で活躍しました。

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「ANAクラウンプラザホテル京都」 総部屋数282室、レストラン、バーラウンジ、宴会場、会議室、結婚式場、美容院、コネクティングルームを有し、送迎バス・クリーニングなどのサービスや、京都駅から無料シャトルバスがあります。

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エントランスの右の生垣の中に「松永昌三講習堂址」の石碑があります。松永昌三(1592-1657)は尺五と号し、父は歌人俳人として名高い松永貞徳(1571-1653)。藤原惺窩(1561-1619)に学び三教に通じて詩文に秀でていました。

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三教とは仏教・道教・儒教を一括する言葉です。講習堂は明治初年まで続いた門弟教育のための学舎でした。春秋館・尺五堂などの塾も開き、松永昌三は市井の儒者として多くの門弟を教育しました。

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「HOTEL CANATA KYOTO」 2019年にオープンしたホテルで客室は15室。二条城の眺望を室内やバルコニー、バスルームから楽しむことができます。写真は1階にある「CANATA Lounge Bar」です。

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「クラフト 和光」 オープンして60年以上の婦人服やブティックのお店で、店内には可愛くて繊細な手作りの人形や素敵な柄の洋服が並んでいます。優しいご夫婦が経営、カワイイ猫ちゃんがいます。

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押小路通まできました。ここから少し押小路通を東に歩きます。交差点の南東(右手前)に石碑があります。

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「城巽幼稚園之碑」 京都市立城巽(じょうそん)幼稚園は明治24年(1891)開園、平成8年(1996)に閉園しました。城巽は二条城から辰巳(巽、東南)の方角にあることを示しています。左に創立100周年記念の碑もあります。

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ANAクラウンプラザホテル京都が管理する「公開空地」、公開空地は昭和46年(1971)に創設された総合設計制度に基づいて、ビルやマンションの敷地に設けられた一般公衆が自由に出入りできる空間のことです。

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「APOLLO」 昨年3月にオープンしたホットドッグ屋で、瞬く間に人気店になりました。ちらし寿司を再現したもしちらドック、梅しそドック、コーンと照り焼きのコンテりドック、鯖のチリソースのサバチリドック。キムチとタクアンのキムタクドック、

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などユニークなホットドックが並び、アメリカ人にも評判とか。向かいは「二条城 ふる田」、会席・懐石料理店で、勉強のため鮮魚店でも働いたご主人が工夫を凝らして魚を調理、締めの白飯は、叔父が育てた比良の近江米を信楽の土鍋で炊きます。 

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「西福寺」 浄土真宗大谷派の寺院。平安時代から鎌倉時代前期、この地には藤原冬嗣(775-826)の邸宅「閑院」があり、鎌倉時代の1259年焼失しました。室町時代の1542年、妙顕寺がここに再建されました。

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「豊臣秀吉妙顕寺城跡」 安土桃山時代の1583年、豊臣秀吉は妙顕寺を小川寺ノ内に移転させ、跡地(現在地)に二条新邸(妙顕寺城)を築造して京都の政庁にしました。邸宅周囲には堀があり、天守も建てられたそうです。

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1587年の聚楽第の築造に伴い二条新邸の政庁としての役割は終わり、秀吉は大坂城から聚楽第に移りました。押小路通と小川通との交差点に来ました。

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交差点の北西角に「閑院跡」の石碑があります。 安土桃山時代から江戸時代にかけての慶長年間(1596-1615)、この地に西福寺が建立されました。

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交差点の北東は「CHINON(シノン)」 エスカルゴやフォアグラのテリーヌ、手作りソーセージなど伝統的なフランス料理を楽しめるオシャレな内装のお店です。お酒の種類も豊富で、オーナーシェフが一人で切り盛りする隠れ家的なお店です。

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東堀川通に戻って、最後の写真は押小路橋、向うに二条城の東南隅櫓(重文)が見えます。励みにしていますので、ブログランキングの応援のクリック↓をして下さると嬉しいです。

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投稿: ゆーしょー | 2026年5月30日 (土) 00:05

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